サリンジャー「エズメのために」の副題をめぐって

サリンジャーの短編集「九つの物語/ナイン・ストーリーズ」に「エズメのために」という短編が入っている。このタイトルの日本語訳がいろいろで微妙に違っている。ちょっと調べただけで次のようになっている。


エズメのために――愛と汚れ(武田勝彦、荒地出版社
エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに(野崎孝新潮文庫
エズメのために――愛と惨めさをこめて(中川敏、集英社文庫
エズメのために――愛と背徳をこめて(鈴木武樹、角川文庫)


ちなみに原題は下記のとおりだ。
For Esmé with Love and Squalor


日本語訳の違いはささやかなものだが、squalorの訳が一人だけ異なっている。鈴木武樹で、彼はこれを「背徳」と訳している。彼以外の3人の訳「汚れ」「汚辱」「惨めさ」はある程度共通した訳語だ。そして、英和辞典を引くとこの言葉の訳は「1.汚さ、薄汚さ、むさくるしさ、2.浅ましさ、卑しさ、卑劣」(研究社 新英和大辞典)となっている。英和辞典からは「背徳」の言葉は出てこない。
つまり、普通に訳したら「愛と汚辱〜」とか「愛と惨めさ〜」となるのが素直な訳なのだろう。それを鈴木は「背徳」と訳した。


エズメはsqualorが好きなのだと話した。それで作家は愛とsqualorをこめてこの短編を書いた。エズメが好み、作家がwith squalorとしたのは何か。


作家はヨーロッパ戦線の戦闘で精神を病み、エズメからの手紙でいやされる、その精神を病んでいた状態を汚辱、惨めさととらえ、多数派の訳者たちが副題に選んだのだろう。だが、背伸びしている少女エズメが汚辱、惨めさという言葉を好むだろうか。
もう一人の訳者鈴木武樹は、この訳語ではなく背徳という言葉を選んだ。鈴木は自覚的なのだ。彼はsqualorに本来的ではないこの訳語「背徳」のニュアンスを感じ取ったのだろう。
それが誤りでなければ、エズメが好んだ概念としては「汚辱、惨めさ」ではなく「背徳」こそが適切なものだ。
さらに背徳は作者がエズメに対して抱いた感情でもある。公にできない感情、少女エズメへの背徳的な愛情という。だから「愛と背徳をこめて」なのだ。