G. グリーン『情事の終り』を読む

 グレアム・グリーン『情事の終り』(新潮文庫)を読む。上岡伸雄による新訳だ。本書は始め田中西二郎の訳によって『愛の終り』のタイトルで発行された。私も高校生の頃この訳者で読み、新潮文庫も買っている。その後エドワード・ドミトリク監督によって映画化され、日本での公開は『情事の終り』とされた。その映画化に合わせて、新潮文庫も同じ題名に変えている。また別に早川書房から氷川玲二訳で「グレアム・グリーン全集」の1冊として出版されている。
 今回新たに新潮文庫から上岡伸雄の新訳で発行された。G. グリーンは最も好きな作家であり、その中でも特に好きな作品がこの『情事の終り』であってみれば早速買わずにはいられなかった。高校生のとき何度か読み、ペンギンブックスまで買ったほどだった。英語が難しくて冒頭少し読んだだけだったが。
 好きな作品だと思っていながら、ここ40年間一度も読み直していなかった。だから大きな枠組みは憶えていたものの、ほとんどの内容を忘れていてとても新鮮だった。決定的なこと以外をすべて忘れていたほどだったから。
 G. グリーンはカトリックの作家だ。とくに中期の作品、本書並びに『事件の核心』と『権力と栄光』はカトリックの信仰の問題が大きなテーマになっている。『情事の終り』もタイトルとは裏腹に信仰の問題が大きなテーマなのだ。とはいえ、舞台は主人公の中年作家と人妻の不倫を描いている。本書の原題はTHE END OF THE AFFAIRという。このタイトルについて、『愛の終り』の「解説」で田中西二郎が「the affairというのは本文の50頁にあるようにlove affairのことで、本文では私も"情事"と訳し〜」と書いている。ついで田中は、

 グリーンによれば、始めと終りとのあるものがaffairであって、この小説の主人公モオリス・ベンドリックスは自分の恋愛をシニカルに"情事"と呼ぶことによって、故意に恋人の人妻サラア・マイルズの愛を−−したがって彼自身の彼女への愛をも、蔑視しようとした。

 グリーンはストーリーテラーと呼ばれる。物語の筋の運びが巧いのだ。本書は信仰がテーマでありながら、モーリスとサラの深い愛とその喪失の物語が全体を大きく覆っている。でありながら、中心はやはり信仰の問題なのだ。メロドラマすれすれのところを進みつつも、中心のテーマがぶれることは決してない。見事なものだ。
 40年ぶりくらいに読み直して、昔は分からなかったのだろうなと思ったところが、

 言い寄ったり誘惑したりする必要もなかった。私たちはおいしいステーキの半分を皿に残し、クラレットの三分の一をボトルに残したまま、メイデン・レーンに出た。互いに同じ気持ちを心に抱いていた。前回とまったく同じ場所、ドアと格子蓋のところで、私たちはキスをした。「君のことを好きになったよ」と私は言った。
「私もよ」
「このままじゃ帰れない」
「そうね」

 高校生の頃読んだとき、この「そうね」を深い印象もなく読み飛ばしただろう。恋なんてしたことがなかったから、男女のことなど何も知らなかったから、この台詞も観念的に読んだだけだったろう。今なら、「このままじゃ帰れない」に対して「そうね」と言われたときの感動がよく分かる。小説を読んでいるときでさえ、この台詞に感動する。現実にはもう長いこと聞いたことがない。
 電車の中で、またマクドナルドのカウンターで読んでいて、声が出てしまわないかと心配した。やはりグレアム・グリーンは私の中で最高の作家の一人であり、その代表作が本書であると言ってもいいかもしれない。
 今回読み直して、本書のテーマがタルコフスキーの映画『サクリファイス』と共通するのに気が付いた。タルコフスキーがグリーンの小説からヒントを得たのだろうか。
 さて、今度はグリーンの最後の大作『ヒューマン・ファクター』をハヤカワ文庫の新訳で読み直してみよう。


情事の終り (新潮文庫)

情事の終り (新潮文庫)

愛の終り (1959年) (新潮文庫)

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情事の終り (新潮文庫)

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