伊藤直『戦後フランス思想』(中公新書)を読む。副題が「サルトル、カミュからバタイユまで」となっていて、サルトル、カミュ、ボーヴォワール、メルロ=ポンティ、バタイユがそれぞれ1章を与えられて紹介されている。さらに2章を当てて、サルトルとバタイユ、カミュとメルロ=ポンティ、サルトルとカミュ、メルロ=ポンティとサルトルとボーヴォワール、レヴィ=ストロースの批判というように論争が取り上げられている。
50年以上前のサルトルブームが、その後の構造主義の隆盛で急速なブームの終息が印象的だった。私は若い頃夢中でサルトルを読んでいた時期があったし、カミュの『異邦人』は今まで一番多く読んだ小説だった。サルトルとともにボーヴォワールも読んだ。『第二の性』や『他人の血』、自伝シイリーズなど。
でも私が最終的に興味を持ったのはメルロ=ポンティだった。思想的にはカミュ<サルトル<メルロ=ポンティと思っている。バタイユはついに手に取らなかった。
著者はカミュを専門に研究しているらしく、カミュに対する評価が高いような印章を受けた。ボーヴォワールについてもサルトルの補完思想家以上に評価していて、やや持ち上げすぎじゃないかと・・・。
メルロ=ポンティは狭義の哲学に留まらず、ゲシュタルト心理学やピアジュの児童心理学、身体論なども幅広く取り入れている。それらはサルトルにはない魅力だった。とくに『眼と精神』の「幼児の対人関係」が強く印象に残っている。サルトルの『出口なし』に現れている「他者の視線が地獄だ」というアポリアをメルロ=ポンティが解いてくれた。改めて読み直すとしたらメルロ=ポンティだと思っている。