海老坂武『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)を読む。フランス文学者で大江健三郎の東大での同級生だった海老坂武が日本の戦後文学から20冊を選んで紹介している。
取り上げられた20冊は、
原民喜『夏の花』
大岡昇平『野火』
開高健『輝ける闇』
中野重治『五勺の酒』
堀田善衛『広場の孤独』
鶴見俊輔『転向研究』
丸山真男『日本の思想』
高橋和巳『わが解体』
安岡章太郎『海辺の光景』
小田実『何でも見てやろう』
大城立裕『カクテル・パーティー』
私は半分程度しか読んでいない。本書を読んで未読のものを読み、また既読のものでも再読したくなった。
開高健の『輝ける闇』について、文章の魅力を指摘している。
開高健は雄弁な作家です。言葉が実によどみなく、すらすらと連ねられている。しかもその雄弁は練り上げられている。言葉が選ばれ、磨かれ、ときには火花が散っている。(……)開高の小説を読む楽しみの一つは、こうした言葉の渦に身を委ねられることにあります。(……)比喩のうまさも抜群です。
堀田善衛『広場の凍読』に関連して、
(……)原発は非常に汚いやり方で出来上がっている。日本の原発がなぜ福島、福井、新潟の3県に集中しているのか。電力会社は地元の住民の財布の中身を勘定しながら札束を積み上げているのですから。そして、役人、学者、ジャーナリストに金をばらまき原発の安全神話をでっちあげ、公聴会までヤラセで組織し、〈理解〉を金で買っているのですから。
高橋和巳が1971年に39歳で亡くなったとき、青山斎場には、涙をぬぐおうともしない若い男女の長い葬列が、いつまでも続いたと『図書新聞』の編集部が書いていた。長い葬列、その数は2千人とも3千人とも言われているという。私は高橋和巳を1冊も読んでいない。
小田実『何でも見てやろう』が名著であることの理由を海老坂が指摘する。
(……)真の国際化とは何かということを深いレヴェルで教えてくれるからです。この本は小学校から英語を教えれば、英語が自由に話せるようになり、日本の国際化が進展するなどという発想がいかに貧相なものであるか、大事なのは、日本語で考える力であり、人間関係の持ち方であり、最終的に精神の自由であることを教えてくれるでしょう。精神の自由を抑圧するところからは何も生まれないことを示唆してくれるでしょう。
同級生だった大江健三郎について、「私は彼の作品のよき読者でした。大体の作品は雑誌に発表されるとすぐ読んでいて、そのどれにたいしても共感と驚きを覚えていた……」。
驚きの理由は、話をしているとどこかひょうきんで滑稽なところのあるこの同級生がとんでもない才能を秘めた作家であること、そしてなんといってもその比喩の使い方が想像を絶していたということにあります。ときには荒唐無稽とさえ思われた。とにかくこういう文章は自分には絶対に書けない、と、自分の凡庸さを思い知らされたのです。
海老坂武はサルトルの研究者だという。今度海老坂の『サルトル――「人間」の思想の可能性』(岩波新書)を読んでみよう。