金子兜太の山頭火評価「なんか嫌な野郎だね」

 北村皆雄が「金子兜太の語った井月と、山頭火、一茶」で金子兜太山頭火への厳しい評価を紹介している(『図書』2022年12月号)。

 

 俳人井月(せいげつ、1822-1887)と言っても知らない人の方が多いだろう。信州では北の一茶、南の井月と言われてきたが、知名度は一茶に比べてまだまだである。幕末から明治にかけて生きたこの俳人は、家も家族も持たず30年間伊那谷のあの家、この家と訪ね歩き、句会を催したり、一宿一飯のお礼に祝い句を置いたりして暮らしたが、己の境涯については一切語らず、明治20年(1887)に野垂れ死に同然で66歳の生涯を閉じた。

 

 北村は、金子兜太の亡くなる2年前に、熊谷から皆野に向かう列車の中で、兜太に独占インタビューを行った。そのインタビューから知った兜太の山頭火への評価。

 

 兜太さんは、井月が本物の放浪者、山頭火は自身でも偽物と思っている放浪者だという。「自分でも自覚してたですね。だから井月を尊敬しておった」。

 山頭火は死ぬ1年前に井月のお墓を訪ねている。「相当スケベ根性を持っていましたからね。山頭火というのはインチキだからね、あれはね。一応放浪者だからね、泊めてくれるでしょう。そういう大事にしてくれる友人のことを食い物にするんですよ。友人が一晩だけ温泉に行かないかって連れていくでしょう。するとそこでずっと泊まり込んでしまって、芸者をあげて大騒ぎをして、そのまま消えてしまうんですよ。やりっぱなしだったらまだ立派なんだけれど、えらい後悔をして永平寺へ行って座禅を組んだりしてね。ああいうのが、なんか嫌な野郎だね」。

 

 末尾に、北村皆雄は記す。

 

※この記録は「金子兜太――故郷 人生 井月を語る」(25分)として映像にまとめている。復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)は、井月を知るのに手に取りやすい句集。丁寧な注と解説が魅力的だ。

 

 Wikipediaによると、井月は芥川龍之介山頭火つげ義春に影響を与えたという。