中村稔『言葉について』(青土社)を読む。同じ題名で書かれた20篇の14行詩(ソネット)だ。どれも4行+4行+3行+3行の14行で書かれている。タイトルのようにページの真ん中に数字が、1・2・3・・・のように入り、続いて見開きで詩が1篇置かれ、その次が裏白、ついで数字、また見開きで詩というように、4ぺージ使って1篇の詩がレイアウトされている。20篇×4ぺージ+後書で〆て86ぺージの構成。
まず「1」を、
私たちは言葉に躓く。
言葉が私たちを連れこむのは平坦な道ではない。
坂あり、谷あり、しかけられた罠がひそむ。
クマザサを踏み分けていくけものみちだ。
私たちは言葉に迷わされる。
私たちは心やさしいから言葉に迷わされる。
迷わされたからといって言葉を責めてはならない。
迷わされた私たちの心のやさしさを信じていればいい。
言葉が私たちを連れこんだのは、はてしもないけものみちだ。
どこにも道しるべもない、けものみちをさまよい、
私たちはやがてけものみちから脱け出すことができるだろう。
言葉に躓き、言葉に迷わされるから、心やさしい私たちは
言葉の怖ろしさを知っているから、いつも謙虚に、つつましく
いとおしさをもって、言葉に接するのだ。
ついで「3」を、
言葉が文字のかたちをとる。
意味のある文字、意味のない文字が
乱雑に散乱し、私たちのまわりにあふれ、
それ自体いかなる感情も思想も表現しない。
しかし、たとえば、鳥が飛び立つ、と書くと、
ある情景が私たちの眼前に髣髴する。
鳥という文字にじっと目を凝らしていると、
不意に鳥という文字が飛び立つ。
私たちは見る、ハクセキレイが銀にはばたき、
ヤブツバキの梢を掠めて
早春の空の青にまぎれていくのを。
ふりかえると、鳥という文字はじっと動かないままだ。
ハクセキレイはどこかの林の底で死んでいるのか?
そう感じたときに、詩がふつふつと湧きあがるのだ。
「後書」に中村は書く。
……私は今年が卒寿であることを知った。そこで卒寿の記念に書き下ろしの詩を20篇収めた新詩集の刊行を思い立った。(中略)
……私はふだんは詩情が湧くときしか詩作しないので、1年に2、3作しか書いてこなかったが、この20篇は2ヶ月足らずの間に書き上げた。(後略)
中村稔は詩人にして評論家であり弁護士でもある。『言葉なき歌』という中原中也論があり、『束の間の幻影』という銅板画家駒井哲郎の伝記がある。駒井論はとても良かったという印象がある。詩は初めて読んだ。
詩人の書く言葉についての詩というと、川崎洋の「鉛の塀」と田村隆一の「帰途」を思い出す。以前ここで紹介したことがあった。
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070919

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