中村葉子と長谷川龍生の詩、そして図書館の利用法

 中村葉子の詩集『夜、ながい電車に乗って』(ポプラ社)を読んだ。その中に「口ずさむ」という詩がある。その全文を引く。

 

  口ずさむ

 

わたしには「口ずさむ詩」がある。

いつも生活の中心に詩があった。

電車に乗ってどこかへ行く途中の、眠たい朝に。

昼下がりの喫茶店で、注文した食事が来るまでの間とか

信号待ちの長いような短いような、そんな時間に口ずさむ。

何度も口ずさんで、もう空でいえる程の詩がいくつかある。

たとえばこんな詩

 

 一枚のボロ布に変り果てた

 一枚の深海にうごめくえいに変り果てた

 罰の空間を低空飛行している  長谷川龍生「陽が射して」から。はじめの三行

 

この三行だけで、わたしは遠くへ行ける。

しかし頭の中でくりかえしているわりには

時々この「陽が射して」の中間部分を忘れてしまう。

(あれ? 次何だっけ)

せっかく、心が動いているのに

物覚えの悪い自分がぽかんと口をあけたまま、放心状態で寝転んでいる。

布団の上に仰向けになって、蛍光灯の光を長時間見上げながら

(低空飛行…その次は?)

深夜、あまりにも長い時間蛍光灯をみつめ続けると

瞬きをした瞬間に物と物との距離が不明瞭になって

目の中心に青黒い一点がみえてくる。

抜け落ちた詩の中間部分は飛ばしてしまい、いきなりラストへ行く。

 

 それでも かぼそい陽が射して

 どこかへ這っていかねばならない  「陽が射して」最後の二行

 

中間がないので、この「どこかへ」は更に曖昧になる。

こんなふうに、大好きな詩を途中で忘れる。

それでも、好きな詩は何度も読む。口ずさむ。

何度読んでも深く胸に響く詩があって、それらの詩に救われたことがある。

誰に向けたのかわからない言葉に感動している自分がいる。

誰に向けたのかわからないからこそ

これはわたしに書かれた言葉であり、わたしである

そう思い込むことができる。

そうして、内側からすうっと、どこかへ行く。

言葉の意味だけが、意味のないところへいつもわたしを連れて行ってくれるから

いくつかの詩はいまもわたしをどこかで支えている。

 

 ここに引用されている長谷川龍生の詩「陽が射して」の全文を読みたいと思った。持っている『長谷川龍生詩集』(現代詩文庫=思潮社)には載っていなかった。区の図書館で『新選 長谷川龍生詩集』『続 長谷川龍生詩集』(どちらも現代詩文庫=思潮社)を借りてみたが載っていなかった。区の図書館へ電話して問い合わせたが、分からなかった。

 久しぶりに都立図書館へ問い合わせることにした。昔と違っていまは都立図書館のホームページに「調べもの相談(レファレンス)」という項目があり、ここに調べたいことを記入して送信すると1週間以内に回答が送られる仕組みになっている。

 数日で回答があった。この詩は長谷川龍生 詩、赤瀬川原平 画『椎名町「ラルゴ」魔館に舞う』(造形社)に掲載されてると。

 改めて区の図書館にリクエストすると、目黒区図書館から取り寄せてくれた。ここに知りたかった長谷川龍生の詩「陽が射して」が載っていた。その全文を引く。

 

  陽が射して

 

一枚のボロ布に変り果てた

一枚の深海にうごめくえいに変り果てた

罰の空間を低空飛行している

見えない心に何が起ったか

多くの すべての復讐が 破滅の瀑布に向っている

盲目の僧侶が枯木と化している

むすうの枯枝には腐卵が垂れ下っている

それでも かぼそい陽が射して

どこかへ這っていかねばならない

 

 公立図書館は、本の収集や保管、貸し出し業務のほかに、レファレンス(調べもの相談)という業務がある。私は前職でしばしば都立図書館のお世話になった。当時は専ら電話で問い合わせると、簡単なものは即答、または数時間後、ときに数日後に電話で教えてくれた。アフガニスタンの最近の棉の栽培面積は? とか、ボールワームと呼ばれるワタの害虫の学名は? とかなんでも答えてくれた。当時まだネットがなかったので大変重宝した。

 今回も初めはGoogleで検索したのだったが、分からなかったので、区や都の図書館の手を煩わせたのだった。図書館のレファレンス業務の事は意外に知らない人が多いようだ。