「商品」を作り続ける作家たち

 赤瀬川原平『反芸術アンパン』(ちくま文庫)に興味深い記述があった。

 1960年代の赤瀬川らネオダダのグループの作品は売れなかった。彼らは当時の作風を変えて新しい方向へ進んでいった。赤瀬川がそのことを外国の作家たちと比較した。

 

 不思議に思うのは、外国の作家たちのことである。たとえば最近になって日本でもシーガルの個展があったし、セザールの個展があったし、クリストの個展もあった。いずれも60年代にその作品の核の出来上がった作家たちである。それが寸分も違わずにいまも同じ類型の作品を作りつづけていることに、私たちは驚いてしまう。そんな同じことばかりつづけていて、面白いのか。それで生活はどうするのかと思ってしまう。ところが向うではむしろそれで生活できるので、そのこともあって類型ばかりがつづくのだとわかった。つまりそれらの作品が売れるのである。売れるから作品を作るし、つぎつぎに売れるからその類型を壊すことができないのである。

 それを知って、現代美術のまるで売れない日本の作家としては、それが羨ましくもなったし、しかし馬鹿らしくもなった。シーガルにしろセザールにしろ作品として出発したときのその核はすばらしいけれども、そのあとの類型はただの商品である。

 

 「そのあとの類型はただの商品である」、これはビュッフェもそうだったし、現代日本でも当てはまる言葉だ。類型を作っている売れっ子作家たちの何と多いことか。顧客がそれを望み、画商がそれを催促する。赤富士を量産した横山操、日本的抽象と持ち上げられた難波田龍起、南瓜や網目を描き続ける草間彌生、みな商品を作り続けた。