赤瀬川原平『四角形の歴史』という不思議な本

 赤瀬川原平『四角形の歴史』(毎日新聞社)を読む。毎日新聞の書評欄のコラム「この3冊」で、美術評論家山下裕二がこの本を「あまり知られていないけれど、極めつきの名著だ」と絶賛していた(2月1日)。

 自筆のイラストとごく短い文章による絵本という体裁だが、本書で示された思索は、驚くほど深い。「目玉は頭の入口だから、物も風景も何でも通過する。でも見るというのは、目玉を通ったものを頭がつかむことだ。つまり見るのは、ちゃんと意識する力があってのことだ」−−そう、赤瀬川さんは「見る」という行為を思想にまで高めた人なのだ。

 赤瀬川は四角形はいつ生まれたのか考える。犬は風景を見ていない。自分の興味のあるもの、食べ物とかご主人とかだけを見ている。その点は人間も似ている。今の人間は風景を見ているが、昔は見ていなかった。人間も物しか見なかった。それは人間の絵の歴史をみるとよくわかるという。
 昔は風景画を描かないで人や物ばかりを描いていた。偉い人、立派な建物、大変な出来事など。ただそういう肖像画の背景にときどき遠くの風景が描かれていた。中心人物のおまけとして風景を見ていた。
 では「絵」というものをいつごろから描きはじめたのか。アルタミラやラスコーの洞窟の絵はたくさんの動物たちで、人間も風景も描かれていない。やがて土器とか棺の表面などに描かれるようになったが、その絵は抽象模様か、動物や人や家などの物件ばかりだった。その後、絵は壁や土器から離れて、独立した四角い画面に描かれるようになった。四角い人工の抽象空間ができるとそこに初めて余白があらわれてくる。四角いフレームがあって、やっと風景が見えてくる。
 このように書き進めてきて、赤瀬川はその四角形を人間はどうやって見つけたのかと問う。頭上から垂れ下がったクモの糸は直線だ。水平線も直線だ。だが、四角形のモトは列ではないかと書く。列を成して歩く動物や、一列に並んで飛ぶ鳥など。さらに穴居式の住居などに運び込まれた物も住居の隅に並べられ、それが増えると2列目が始まり、3列目が続く。この2列目以上に物品が増えるとスペースというものが現われる。そうだとすれば、四角形は2列目から始まった。
 人間がいつも使っている直線は、拡大する生活の整理整頓から生まれた。その直線の重なりが四角形となり、その四角形が絵の画面として登場した。そのとき、人間は初めて余白を知り風景を見た。
 ここに書いたのはほとんど赤瀬川の文章そのままだ。絵本の体裁を採っているので、文章はとても短い。印象では、上記で7割はコピーしているようなものではないか。山下裕二の言うように、これは画期的な内容だと思う。なぜ赤瀬川だけが、こんな独創的な発見をすることができたのか。その答えが「あとがき」に綴られている。

……絵のことをロスタイム無しの状態で考えたのは、警視庁の地下室だった。昔、千円札を印刷した自分の作品が法に問われた。その取調室で、何故これを作ったのかという尋問は、結局は人類の絵の歴史を考えさせられた。人間は何故絵を描きはじめたのか。いつ描きはじめたのか。取調官の眼鏡越しの視線を受けながら、絵の歴史をさかのぼった。大昔のこと、生活物体から分離した絵というものが、1枚の板、1枚の画布の上にあらわれてくる。でもそれ以前、中世から原始にまでさかのぼる時代には、絵も壁も壺も、食料も宗教も仕事も、すべてが未分化のマグマ状態にあったのだ。自分の作ったものは、そのマグマから言葉を拾ってこない限り説明がつかないことを、細々と理解したのだった。(後略)

 警視庁の取調室は非日常の空間だ。そんな場所・体験だからこそこんな独創的な発見が生まれてきたのだろう。もっともっと注目されて良い仕事ではないか。


四角形の歴史 (こどもの哲学・大人の絵本)

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