平林敏彦『言葉たちに』を読む

 平林敏彦『言葉たちに』(港の人)を読む。副題が「戦後詩私史」、平林が自身の詩歴や古い仲間たちとの交友を書いている。さらに近作の詩を10篇近く収録している。

 平林の詩に対して武満徹が私信で「人類が言葉を喪おうとしているとき、このように彫琢された言葉に接する喜びはたとえようもない」と伝えてくれた。

 若いころに平林の「ひもじい日日」を読んだとおぼしい三木卓は次のように書いているという。「平林の詩は、まるで自分自身のためだけに書いているように勝手でぶっきらぼうで読みづらかったが、好きで、よく読んだ。……現実と主体とのかかわり方が何か、ぼくに親近感を与えた。とくに平林の場合、どうしようもなくのめりこんでいるような感じだった」と。

 大岡信は書く。

 

平林敏彦は、肉体の各器官の中にとめどもなく溶解してしまうようにみえる自我を、たえまない嘔吐感に似た悪寒に悩まされつつ、思想の高みにまで引き上げ、造形しようとする。平林が多く素材を求めるのは、下町のよどんだ運河が流れるあたり、腐臭の中であらゆるものが待ちくたびれたりうなだれたりして、まるで、投げ出された臓腑のように無意味にうごめいている世界である。平林はこれらの間を、ひどく悲しげな顔をして歩みつづける。ねっとりとからみつく、物のかずかずの破片、それらに嘔吐感を催しつつも、平林は立ち去ることができない。なぜなら「今日」はまさしくそこにしかないからであり、出発するとすれば、これらの破片を、種子に変えての上でなければならないからだ。平林の詩集の一つは、『種子と破片』という象徴的な題名を持っている。

 

 さらに大岡は平林の詩を引用して、「これらの作品に見られる「現実感に溢れた非現実性」は戦後詩が達成した詩的技術の一到達点と言っていいだろう」とまで言っているという。

 そして30年間詩を書かなかった平林のもとに突然未知の詩人太田充広が現れて、自分が費用を負担するので平林の新しい詩集を出版したいと言う。それで1988年に『水辺の光 1987年冬』(火の鳥社)が発行される。

 詩集を読んだ長田弘が「letters」と題するエッセイを寄せてくれる。

 

 平林敏彦の『水辺の光 1987年冬』は、このもうすでにわすれられようとしている手紙の言葉を、あらためて想起させる詩集だ。その詩集は、手紙として書かれている。『水辺の光 1987年冬』は、かつて手紙としての詩をこころを込めて書き、ついに宛先をみつけられず、みずから詩を思い切った詩人が、それから30年(!)のあいだまもった孤独な沈黙のあとに、はじめてじぶんの手紙の宛先をみいだして、ふたたび「1本の鉛筆を削って」、こころを削ってしたためた新しい手紙の束だ。

 

 ほかにも飯島耕一辻井喬中村真一郎田村隆一らについても書いている。平林敏彦、現在97歳だ。