坂上弘『故人』を読む

 坂上弘『故人』(講談社文芸文庫)を読む。裏表紙の惹句に「34歳で早世した山川方夫の人生を、最も近くで生きた著者が小説に刻んだ鎮魂の書」とあった。坂上は今まで読んだことがなかったが、評伝文学や自伝が好きな私としてはこれは読んで見ようと思った。山川の方はは昔何か読んだ気がする。
 冒頭、主人公の修吾が突然交通事故にあった先輩作家の上條栄介を病院に見舞うところから始まる。上條がモデルの山川方夫も交通事故で亡くなったのだった。
 山川の評伝かと思って読み始めた私は違和感に襲われる。これは山川との交流を軸に描いた坂上のある時期の生活=私小説なのだった。私小説を読むのは久しぶりだった。私小説の特徴として、細部の描写がきわめて詳しい。そしてそのことと矛盾するようだが、個々のエピソードが必ずしも完結しない。
 久しぶりに私小説を読んで感じたことは、私小説の世界はそれ自体で完結しているものではないのだろうということだった。作家が体験した世界=生活があり、私小説はその一部をスケッチしているようなものではないか。作家が体験した世界=生活があちらに確固としてあり、それを写し取っているのに過ぎないのだから、こちら=小説世界のなかで必ずしも完結する必要はないのだ。
 その真逆の作品として40年ほど前に見たテレビドラマを思い出す。イギリスのミステリ作家ジョン・ル・カレ原作の『偽装の棺桶』はたぶんイギリスBBCで作られてNHKで放映されたが、ストーリーを構成している個々のエピソードがすべて最後のクライマックスの伏線となっているものだった。
 坂上の小説を一度も読んだことがなかったのは、なにかその世界が地味な印象を与えたからだ。では派手な小説とは何かと言えば、三島由紀夫を思い浮かべる。とくに三島が特別好きなわけではないが。
 本書を読みながら、ときどき吉行淳之介を思い出した。吉行だったら、こんなに細部に捕らわれることなく、さっさと本質的なものの描写に進んで、くっきりとした世界を見せてくれるのになあと。


故人 (講談社文芸文庫)

故人 (講談社文芸文庫)