色川武大『友は野末に』(新潮社)を読む。副題が「九つの短篇」、昭和50年代から61年にかけて書かれた短篇集。1篇だけ46年のものが入っている。それに加えて、嵐山光三郎との対談、立川談志との対談、そして作家が亡くなったあとで未亡人色川孝子がインタビューに答えたものが収められている。
色川は平成元年に60歳で亡くなっているから、晩年に書かれたものばかりだ。古い友達や子供の頃交流があった従兄たち、若かった頃付き合いのあった連中、また10代の頃文字通りヤサグレていた頃の生活などが描かれている。
色川の若かった頃はハンパではないグレ方をしていたらしい。10代ですでに賭場なんかに入り浸って一人前の勝負師だったようだ。22歳ころ堅気になろうとして出版社に入る。それも数カ月しないで勤め先を変えていた。
それらのことが詳しく語られているわけではないが、叙述の隅々から本物の勝負師だった体験の重さが透けて見える。この人の人生は重いものが深くに沈殿しているのだろう。想像して作り上げた小説ではない。
それは見事なものだ。そう書きながら、しかし色川は自分の体験を十全に作品に結晶できなかったのではないかとも思えるのだ。もっと書けたはずだと思う。あるいは阿佐田哲也名で書いた娯楽小説の方が完成度は高かったのだろうか。今度は『麻雀放浪記』を読んでみよう。
本書の附録である立川談志との対談が面白かった。単行本に収められたのが1987年と古いが、落語家や漫談家たちについて辛辣な批評を繰り広げている。
色川 伝統の芸を持っている人はいいけど、漫才の人とかニュース漫才風の人がちょっと遅れちゃうと、聴いていられないね。
談志 トップ・ライトがいい例だね、もう聞いてられない。宮尾たか志がやっぱり聴いてられなかったですものね。牧野周一がやっぱり聴いてられなかったな。だから、むしろ古臭いのやっている山野一郎のほうがよかったな。
こんな調子で猫八なんかも糞みそに言われている。
以前読んだ伊集院静の『いねむり先生』は、色川の描き方がいま一歩だったとあらためて思う。誰かちゃんとした伝記を書いてくれないものか。
- 作者: 色川武大
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/03/31
- メディア: 単行本
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