ギャラリーなつかの國安孝昌展「〜静かに行くこと、遠く内省すること〜」はまるで異次元のようだ!


 東京京橋のギャラリーなつかで國安孝昌展「〜静かに行くこと、遠く内省すること〜」が開かれている(9月14日まで)。國安は1957年北海道生まれ、1981年に北海道教育大学教育学部を卒業し、1983年に筑波大学大学院芸術研究科を修了している。
 各地のギャラリーで個展を開いているが、また「雨引の里と彫刻」や「越後妻有トリエンナーレ」など大規模なグループ展に数多く参加している。今年の春も国立新美術館の「アーティスト・ファイル2013」に参加していた。
 この国立新美術館の「アーティスト・ファイル2013」の國安の展示はとりわけ見事なものだった。上に示した今回のDM葉書の写真がその展示風景だが、國安の展示だけが断トツに優れていた。広い部屋に何百本という丸太で組み合わされた構造物が作られていた。



 今回のなつかの展示も基本的には国立新美術館の展示と同じコンセプトで、900本近い丸太と膨大な数にのぼる小さな陶ブロックを組み合わせた構造物を作っている。なつかはとくに広いギャラリーというわけではないので、構造物はギャラリーの床から天井まで、入口から奥の事務所まで、わずかな通路を除いて隙間なくぎっしりと詰まっている。ギャラリーに足を踏み入れればその大量の物質としての丸太と陶ブロックに圧倒される。空間が何かでこんなにも埋めつくされているのを経験することは普段あまりないだろう。まずそのことに驚く。量が閾値を超えたとき弁証法では質的に転化するという。もうこれは丸太の集積ではなくなっている。ギャラリーが別の空間に変わっていることが体験できる。京橋の画廊通りからギャラリーへ1歩入れば、そこには非日常の異次元空間が待ちかまえているのだ。
 作家は何を考えているのだろう。國安の言葉がギャラリーのHPに掲載されている。

 四分の狂気と六分の正気。その狂気に芸術の神は降りてくる。
私は、変わらない。変われない。ただ、このことのみを不器用に信じてきた。
 空間や景観を相手に幾度も幾度も変わらず丸太や陶ブロックを積むことは、神無き時代の信仰への希求だ。時折、本当に時折、見えない何ものかの力を借りて作品が出来てしまうことがある。私は、いつも静かに遠く内なる狂気に憑くその何かを内省しながらじっと待つのである。
 屋内の展示は、いつもアーキタイプの提示になる。7年ぶりのなつかでの個展は、一歩だけ遠くへ行きたい。なつかでは内省を、つづく9月の雨引では屹立する孤高をみせたい。気まぐれな憑依者に、私は少年のときから、切に真摯に嘘なく向き合いたいとずっと変わらず変われず願ってきた。(後略)

 ギャラリーへ来て國安の展示を体験すれば、作家の「四分の狂気と六分の正気。その狂気に芸術の神は降りてくる」というややもすれば過剰な表現が、素直に納得できるだろう。
 ギャラリーも力を入れていて、この展示の会期には3週間を当てている。この異次元空間をギャラリーで体験することは大きな意味があるだろう。芸術はこんな壮大な無駄みたいなことを通じて、日常の向こう側に別の世界が存在することをほの見せてくれる。つい、そんな大きなことも言ってみたくなる展示だった。
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國安孝昌展「〜静かに行くこと、遠く内省すること〜」
2013年8月26日(月)〜9月14日(土)
11:00〜18:30(土曜日17:00まで)日曜休廊
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ギャラリーなつか
東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F
電話03-6265-1889
http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/