田中博文『松代藩』を読む

 田中博文『松代藩』(現代書館)を読む。これは「シリーズ藩物語」の1冊として出版された。江戸末期の各藩の一覧が巻末に載っているが、その数270を越える。これらを藩ごとに1冊にまとめて出版する広大な計画があるらしい。江戸時代の「藩」に関する大項目主義の事典ともいえるだろう。
 松代藩は長野県北部に位置し、真田10万石として長野県最大の藩だったことは本書で初めて知った。松代藩の前史として上杉謙信武田信玄川中島の戦いがこの地であった。その戦いの詳細を語るところから本書が始まる。
 真田といえば大阪冬の陣で徳川方と戦った真田幸村(信繁)を思い出すが、松代藩の真田は、父昌幸、弟信繁と分かれて徳川方についた真田信幸(信之)に始まる。本書ではどこも同じの江戸時代の藩財政の窮乏とそれに対する改革が綴られる。伝説的な恩田木工が真田とは知らなかった。
 幕末の重要な学者佐久間象山が松代出身とはこれまた知らなかったが、長野県出身と言うことは、県歌『信濃の国』でよく知っていた。それはこんな風に歌っている。

 旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
 春台太宰先生も 象山佐久間先生も
 皆この国の人にして 文武のほまれたぐいなく
 山とそびえて世に仰ぎ 川と流れて名はつきず

 長野県全県の小中学生が学校で歌わされるから。この佐久間象山吉田松陰の先生だったのだ。松陰は死罪となったが、象山は蟄居ののち許されて上洛する。しかし象山はその公武合体論を嫌った尊王攘夷派によって暗殺される。下手人は幕末3大人斬りと呼ばれた肥後の河上彦斎だった。
 本書はさらに、松代藩の文化と人々の暮らし、松代藩明治維新という章を立てて、松代藩の最後まで見届けていく。
 明治の女優松井須磨子が松代出身だったことも教えられた。太平洋戦争末期の大本営の建設も松代だった。コラム「幻に終わった松代大本営」で紹介されている。
 著者田中博文は私の古くからの友人で、付き合いの長さからだけ言えば、もう45年を越えている。10代のころは不器用な詩を書いていたが、こんな良い仕事をするようになったのか。