片山杜秀『歴史は予言する』を読む

 片山杜秀『歴史は予言する』(新潮新書)を読む。『週刊新潮』に連載したコラム「夏裘冬扇」の書籍化。片山杜秀は近代日本政治思想史家でクラシック音楽の評論家。週刊誌の軽いコラムと思って読み始めたらとんでもなく重い充実したエッセイだった。名コラムだと言って良い。どれもたったの3ページ、だから86篇も並んでいる。

 平成天皇の退位に対して。

 明治の大日本帝国憲法岩倉具視伊藤博文のアイデアの結晶だった。

(……)「男は黙って御名御璽」。岩倉も伊藤も安心できる落としどころであった。

大日本帝国憲法は、表向きには天皇に大権を集中する。だが解釈と運用で、天皇本人をなるたけ黙らせておく。維新政府の戦略であった。でも、なお心配が残る。たとえば天皇が、裁量できることの少なさに退屈して退位を望み、世間が、現政権への天皇自身の不満がそこに込められていると信じたとする。明治国家はたちまち正統性を疑われる。

 また、退く天皇が、後継ぎをどの皇子にしたいと選り好みしたとする。反対勢力があれば、南北朝時代の再現になりかねない。対策は、天皇の自由意思では退位や後継ぎの指名をできなくすることだ。

 崩御するまで辞めさせない。皇位継承順も法で決める。皇室典範が、伊藤の主導で作られた所以である。

 岩倉と伊藤の思想は、敗戦を超えて延命してきたと思う。「象徴天皇も黙って御名御璽」。だが、革命は起きた。今回の代替わりはとてつもなく新しい。日本はきっと大きく変わる。吉と出るか、凶と出るか。(2019/05/16)

 

 「を」はどう発言されるべきか、と片山は問う。「定説では、早くも王朝時代にワ行の音は曖昧化し、江戸時代のうちには「ワ」を除くとwの音が完全にとれて、「ヲ」の音も「オ」に同化したとされる」。ただ、現代にも「wo」は生きているという。たとえば歌舞伎や文楽や能や狂言だと、古風な日本語の響きを求めるから、「を」をはっきり「wo」と聞かすことは多い、と。

 私は長野県飯田市近郊の生まれだ。若い時東京へ出てきて、編集プロダクションに入社し、読み合わせ校正をさせられた。一人がゲラを読みもう一人が原稿を見ている。私が「~を」の「を」と読んだら、それが通じなかった。東京出身の同僚たちは「を」を「お」と発音していて驚いた。

 今回片山のこの本を読み、友人たち(長野県出身、70歳代)に「を」と「お」の発音を区別するか問い合わせたところ、全員が区別するとのことだった。地域(長野県)と年代によるのだろうが、変化はテレビの影響も大きいのだろう。

 見出しがまた面白い。「柳田國男ベーシック・インカムがお好き?」、「マラリア・コロナ・マッカーサー」、「下山事件金田正一」、「梅宮辰夫と第三次世界大戦」、「ゼロ戦的な、余りにゼロ戦的な神田沙也加追悼」、「ゴジラとしての石原慎太郎」。

 片山杜秀、名コラムニストが誕生した。