梅野叔子『空飛ぶ亀の狂詩曲』(文芸社)を読む。副題が「青木繁に魅せられた梅野家の断章」というもの。知人から興味深い本があるから読んでみないかと勧められた。長野県東御市に東御市立梅野記念絵画館がある。初代館長は東京京橋で画廊の藝林を経営していた梅野隆だった。現在はその娘婿が館長をしている。
梅野隆の父親の梅野満雄は青木繁の親友だった。青木が夭折したあと、青木の絵が散逸しないよう財産をつぎ込んで収集した。ために禁治産者になってしまったほどだった。梅野隆はサラリーマンを定年退職したあと、画廊を開き埋もれた画家を顕彰する仕事に打ち込んだ。毎月手書きの画廊通信を発行し、オークションを行い、コレクターたちを組織した友の会を作った。梅野隆の目標は美術館の設立だった。夢のような企画だったが知人たちの尽力もあって長野県北御牧村に村立の美術館ができることになった。そこは梅野隆のコレクションを中心とした美術館なのだ。のちに北御牧村は合併して東御市になる。
著者の梅野叔子は館長の息子の梅野亮と結婚する。義父の美術館設立の夢に協力して学芸員の資格を取り、その設立に重要なスタッフとして立ち会うことになる。本書はそれを中心とした梅野叔子の半生記といったものだ。
私も藝林を何度か訪ねて梅野隆と話したことがある。興に乗ると唾を飛ばして熱く語るエキセントリックな人だというのが印象だった。しかし公立の美術館を作ったほど行動力のある実力の伴う人だったらしい。
本書は梅野叔子の半生記という性格と、梅野隆という癖の強いカリスマが美術館を設立する話、そして梅野隆の息子である著者の夫の梅野亮とのすさまじい生活とその破綻を描いている。
勧めてくれた知人の言うように、梅野家という美術界に関係する特異な家族を描いていてとても興味深く読むことができた。東御市立梅野記念絵画館が設立されるまでにどんな葛藤があったのか、内部の者にしか分からない歴史が綴られている。それは貴重な証言だ。ただ著者の書きたかったことは3つのテーマのうち何だったのかと考えてしまう。半生記ではないだろうと思うのだが、半生記の比率が大きいのだ。そして何よりも亡くなったとはいえ、初代館長は義父だった人だ。その息子亮とはすでに離婚しているとはいえ、まだ存命だ。著者の筆はそれらの葛藤を描くとき鈍ってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。だが、大変だったと語られてもその具体的な内容がぼかされていると感じてしまう。どう大変だったのか、肝心なところが省筆されてしまっている。そのことは説得力を犠牲にしてしまった。嫁の立場だから無理もないのかもしれないが。
伏線も不十分だと感じられた。後半部分で唐突に夫は重役になっていたと語られる。重大なエピソードだと思われる初代館長の死はまえがきで触れられたきり、どこかへ消えてしまった。銀座の兜画廊というのは兜屋画廊の誤りだ。今は零落したに近いとはいえ、日動画廊に次ぐ老舗画廊なのだ。この辺りは著者の問題というより校正者の責と言うべきだろう。
離婚したが梅野亮は著者の元夫なのだ。子供の父親でもある。カバーには梅野亮の絵が使われ、著者の元夫の絵に寄せる気持ちが伝わってくる。私は本書を紹介するのに少し厳しかったかもしれない。だが自費出版であっても、発行されたからには公のものなのだ。著者よ、許されよ。
- 作者: 梅野淑子
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2013/07/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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