東北関東大地震に桜木町で遭遇した

 3月11日は所沢の防衛医科大学病院でジストニアの治療を受けた後、横浜のみなとみらいへ行き、横浜美術館高嶺格展を見た。美術館を出て六本木の国立新美術館シュールレアリスム展を見に行こうと桜木町駅へ向かっていて、ランドマークタワーを通っていた時に通路が揺れ始めた。商店の店員さんたちが何やら慌てているようだ。そのうち揺れがだんだん大きくなっていって、歩いていることができなくなった。壁に寄りかかって手をついた。まもなく揺れが徐々に小さくなったので出口へ向かった。それでも入口近くの案内カウンターの女性たちがしゃがみ込んでいるのが見えた。
 ランドマークタワーを出るとそこに集まっている人たちが上の方を見上げている。隣の高層ビルの上部がゆっくり大きく揺れ動いている。それがちっとも収まらなく、いつまでも揺れている。桜木町駅前の広場に着くとそこも多くの人が集まっていて、ランドマークタワーの方を見上げている。視線の方向を見るとランドマークタワーの後ろの高層ビルの上部がまだゆっくり大きく揺れているのだ。
 とにかく早く移動しようと桜木町から電車に乗った。しかしなかなか発車する気配がない。隣りに座っている若いサラリーマンたちがケータイのテレビを見て声を挙げている。どこで地震があったのですかと聞くと、宮城県沖でマグネチュード9、震度7地震があったのだと教えてくれた。そのうち電車が激しく揺れる地震があり、駅員が危険だから電車を降りて駅前広場に行くように叫んでいた。乗客たちは全員電車を降り、改札付近に設置されているテレビの周囲に集まった。音声はないが地震の規模や被害の大きさが漠然と想像できた(実際は想像を遙かに絶していたが)。
 駅員は電車が動く見込みはない、近郊の私鉄についても同じだと叫んでいた。しかたない、歩いて帰宅しようと考えた。この時午後4時ころ、墨田区の自宅まで40kmくらいだろうと踏んだ。時速5kmで歩けば8時間、深夜の12時には帰宅できるだろう。
 まず横浜駅を目指した。30分ほど歩くと横浜駅東口に着いた。ここで警官が大津波警報が出ているので、横浜駅の西口へ移れと誘導していた。駅の構内を横切って西口へ行ったが、構内は大勢の人たちが床に座り込んでいた。
 横浜駅から東京を目指したが、海に近い国道15号線第一京浜)ではなく、それより山側を走る国道1号線(第二京浜)を選んだ。昔第二京浜脇でラーメンの屋台をやっていたので、少し土地勘があったのだ。歩きはじめて1時間くらい経ったころ小安のあたりに着いた。それから1時間ちかく歩いて下末吉の交差点に着いた。このあたりも屋台のショバだった。そして懐かしい鶴見川を渡った。屋台をやっていた時、鶴見川沿いの汚い安アパートに屋台の仲間達と住んでいた。テキ屋の仲間達だった。
 南部線の尻手駅を過ぎたが電車は動いていない。出発して2時間半ほど歩いて多摩川大橋を渡った。けっこう足が疲れてきた。それまで歩行者を追い抜いて歩いてきたのに、このころから抜かれ始めた。大変心外なことだったが、仕方なかった。自販機で甘い缶コーヒーを買って飲んだりコンビニでチョコレートを買って食べたりしたが、夜になって店が全く開店していないことや自販機が点灯していないことに気がついた。国道の山側の歩道を歩いていたが、こちら側は全面的に停電していたのだ。交差点の交通信号も消えていて警察官が交通整理をしていた。
 実は花粉症を患っていて、眼がかゆくて仕方なかった。眼を洗ったり眼薬を差したりしたかったので、ファミリーレストランなどを探したがほとんど開いていなかった。ようやく見つけても客が大勢列を作っていた。あきらめて歩き続けた。
 目蒲線を過ぎ、東海道新幹線のガードも通り過ぎた。大井町線中延駅の近くを通ったがやはり電車は動いていない。4時間半歩いて五反田駅を過ぎた。駅前のツタヤもブックオフも営業をやめていた。JRも動いていない。しばらく歩くと都営地下鉄浅草線の高輪駅があった。何と西馬込駅から浅草橋駅まで開通したと張り紙があった。このとき午後9時ころ、もう5時間ほど歩いている。距離にして25kmくらいだろうか。
 でも電車はなかなか来なくてけっこう長い時間を待たされた。ここで初めて座ることができてずいぶん楽になった。浅草橋駅までの10km近くはすぐに着いた。いや歩くのと比べれば全くすぐなのだ。やはりJRは動いていない。しかし、半蔵門線が九段下から押上まで開通しているという。それで浅草橋駅からまた錦糸町駅まで歩いた。これが3kmくらいだったが、電車の中で座れたので元気を取り戻した。足が前に進むようになった。また歩行者をどんどん抜いていった。
 ようやく着いた地下鉄半蔵門線錦糸町駅でも長く待たされた。でも電車が来れば押上駅は一つ先だ。押上駅で地上に出ると頭上に大きく東京スカイツリーが立ち上がっていた。ここからは2km歩くと自宅だ。家に着くと娘が大喜びしてくれた。11時半だった。桜木町を出て7時間半経っていた。30km歩いたのにけっこう元気だったのは、もう20年間、毎週土曜日に数時間銀座やそのほかの地区の画廊を巡って歩き回っているせいだろう。
 翌日目覚めると、娘曰く「お岩さん」になっていた。国道沿いを長時間歩いたので花粉症で眼が充血し、夜寝ている間にこすったらしく、目医者に行くと内出血して劇症になっていると言われた。数年ぶりにステロイド剤の内服薬セレスタミンを2日分だけ処方された。これは本当によく効いた。ステロイド剤の眼薬と併せて、3日後には驚くほどきれいな眼に戻っていた。娘曰く、お岩さんの眼に比べてきれいなんだよ、父の眼なんて××なんだから。
 罹災者に比べたら屁でもない経験だろうが、それでも一つの記録だと思って記録した。