ドン・ウィンズロウの「犬の力」を読んで

 ドン・ウィンズロウ「犬の力」(角川文庫)上下2巻を読み終えた。なかなか評判の良い小説らしく書店でも平積みされていた。私がこれを購入したのは毎日新聞2010年1月17日の書評を読んだからだ。そこで江國香織が「犬の力」を絶賛している。

 描かれるのは、30年にもおよぶ月日だ。抗争、かけひき、友情、信頼、家族、裏切り、流血、恋愛、その他いろいろ。とても豊かな物語。メキシコの麻薬組織とアメリカの政府機関の攻防、という、それ自体ドラマティックな枠のなかにさえ、とても収まりきらない豊かさだ。一人一人の生と死の前では、マフィアも国家もちっぽけに見える。(中略)
 ドン・ウィンズロウは実に巧みに、一人一人を読者に見せる。映画のように、写真のように。この人は妻を愛している。この人には病気の子供がいて、この人は神に身を捧げている。この人の好物は桃の缶詰である。さまざまな人生が複雑に交差する。ある者は死に、ある者は生きのびる。

 物語は複雑で登場人物も多い。作者はそれらを手際よく描き分ける。江國の書評のように、とても「面白い」。よくできている。評判が良いのも売れているのもよく分かる。しかし、私の評価はそんなに高くない。復讐シーンなど必要以上に残虐な描写が多い。それが評価に影響しているのか。ちがう。「犬の力」は面白いだけの小説だからだ。その面白さは「劇画」のそれに似ている。小説にとって面白さは十分条件でも必要条件でもないのだ。しかし面白さを評価の第一に挙げる読者がおそらく大多数だろう。それはよく知っている。
 そんなことを主張するのも、私はジョン・ル・カレを知っているからだ。ウィンズロウと異なり、ル・カレの「パーフェクト・スパイ」は面白くしかも登場人物たちの深い人生が描かれている。スマイリー3部作と言われるル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」を読めば私の主張が納得されるだろう。

 もう秋か。−−それにしても、何故に、永遠の太陽を惜しむのか、俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、−−季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。

蟹を食うひともあるのだ