巨乳という文化の成立基盤

 最近、長友健二「アグネス・ラムのいた時代」(中公新書ラクレ)という本が発行された。店頭で立ち読みしたが、口絵にアグネス・ラムの当時の写真が載っていて懐かしかった。30年前、日本の若い男たちはみんなアグネス・ラムに夢中になったのだ。可愛いのに巨乳をビキニの水着に包んでいた。どんなに水着の中が見たかったことか。
アグネス・ラムのいた時代 (中公新書ラクレ)

 巨乳という文化が日本に定着したのは彼女によってではなかったか。それまでもハリウッド女優でジーン・マンスフィールドとか、ラクエル・ウェルチとかグラマー女優は紹介されていたけれど、日本には定着しなかった。アグネス・ラムはハワイ出身のためか東洋人ぽい印象で、それで初めて日本人も受けいれたのかもしれない。
 江戸時代の浮世絵を見ても、明治大正のあぶな絵を見ても女性の胸は小さく描かれている。ヨーロッパだって、ギリシア彫刻の女神の胸は大きくないし、ルネッサンスボッティチェッリマニエリスムのティチアーノ、時代が下ってアングルの「泉」の女性の胸も大きくはない。一体いつから巨乳がもてはやされるようになったのか。
 私は先に、このブログで「女性の胸の大きさと男の満足度に関する考察」(id:mmpolo:20070120)という文章をアップしたが、そこで大きな胸はそれを見るとき男性に大きな満足をもたらすが、触れるときは胸の大小にかかわらず男性は大きな満足を得るという事実を指摘した。胸の大きさ=巨乳が意味を持つのは実にこの見るときなのだ。
 欧米や日本の男性が女性の胸を見るだけなのはどのような時か? 日本では戦後、欧米でも20世紀前半からだろう。写真や映画が発達してからだ。それ以前は見るときと触れるときが分離していなかった。写真や映画はそれが分離している。見るだけで触れることはできない。そのような状況で初めて巨乳が意味を持つようになったのではないか。
 巨乳を体験しなかったわけではないが、触れたとき少しだけ期待はずれだと微かに思った。つまり胸の大きさに比例した期待があったのだろう。大小問わず満足するのだ。大きくてもそれ以上の満足はなかったのだった。