3人の大久保がいる

 丸谷才一ナボコフ「ロリータ」の新訳(訳者:若島正)を絶賛していた。丸谷は以前「ロリータ」の旧訳が出たとき書評でその訳(訳者:大久保康雄)をけなしたら、しばらくたって大久保康雄からあれは自分が訳したのではないとの弁解の手紙を受け取ったと書いていた。
 大久保康雄訳の本は多かった。ずいぶん達者な人だと思っていたが、宮田昇「戦後『翻訳』風雲録−翻訳者が神々だった時代−」(本の雑誌社)によると、いろんな連中に翻訳を外注して、それを大久保康雄の名前で発表していたのだという。ひどい翻訳の「ロリータ」は高橋豊に下訳をやらせたそうだ。。

 その大久保を最近丸谷がほめていたので不思議に思ったが、それは別の人物だった。この大久保康雄と似た名前の大久保房男について丸谷は次のように紹介している。

 大久保さんは長く文芸誌「群像」の編集長を務めた伝説的人物。おそらく戦後の文芸編集者中随一の人。(中略)
 しかし大久保さんには、もう一つ大きな功績がある。戦前の講談社は、知識人の目から見れば俗悪低級な出版社にすぎなかった。たとえば豊多摩刑務所は、月刊誌の閲読はすべて禁止していたが、「キング」「講談倶楽部」「雄弁」などの講談社刊行物は安全無害なので例外だったという。(中略)そういう出版社の印象を一変させ、知的で高級な側面を付加えるのに最も力があったのは大久保さんの「群像」である。講談社を見る社会全体の目があれで変った。すなわち彼は、一つの大出版社の風格を改め気韻を高めた。

 もう一人大久保昭男という人がいたが、こちらはイタリア文学者で、モラヴィアカルヴィーノなどを訳している。