田中優子・松岡正剛『昭和問答』(岩波新書)を読む。江戸文化の専門家田中優子と著名編集者の松岡正剛の昭和をテーマにした対談書。実は本書の前に同じ岩波新書から二人で『日本問答』と『江戸問答』を出版している。そのことは知らなかった。
本書は6つの章からなっている。「戦争が準備されていた」「二つの戦争」「占領日本が失ったもの」「生い立ちのなかの昭和」「本を通して昭和を読む」「昭和に欠かせない見解」だ。前半は結構面白かったが、後半はつまらなくなった。なぜ? と思って読み終えてあとがきをみたら、松岡の弟子という太田香保が、松岡はあとがきを脱稿したした直後に呼吸困難になり、救急搬送された病院で急逝したとある。この対談に3年をかけた。松岡は肺がんを患っていた。前半に比べて後半の失速は松岡の病気の治療と関係があるのかもしれない。何しろ抗がん剤の治療は半端なくきついのだ。
まず先の戦争に関連して、日本の軍隊に決定的に足りなかったものを、『失敗の本質』(中公文庫)を引きながら指摘している。
松岡正剛 戦略も戦術も足りなかったんじゃないかな。そもそも日本は戦争の目標すらあいまいです。(中略)
田中 (……)『失敗の本質』は、ノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦についての日本の失敗の原因を一つ一つ全部くわしく検証しています。(中略)情報機関の欠陥ということだけではなくて、そもそも情報収集にも問題があった、何をもって情報とするという点から問題があったということです。
田中 児島襄『東京裁判』(中公新書)を読んで私が「やはりそうだったのか」と思いながらも驚いたのは、陸軍省軍務局長だった佐藤賢了中将が「そもそも大東亜戦争なるものは、英米などの経済封鎖が原因」と言い、さらに弁護団は被告を守ることより「国家による侵略という汚名を払拭すること」「皇室を巻き添えにしないこと」「日本には侵略政策はなかったこと」「太平洋戦争は自衛の戦争であったこと」を主張すると決めていた、ということでした。どんな戦争も「自営のため」と言って始まるものなので、それには驚きませんが、被告たちの多くが自ら罪を被るとしながら、「日本は悪くなかった」という筋を通すことで天皇を守ることに徹したことは、戦後日本の「無垢の天皇が君臨する無垢の日本」像をつくることになったのではないかと思うんです。こうして現実としての敗戦と「罪のない国体」が両立した。これでは反省しようにもできません。
松岡はマスコミによっては「知の巨人」とまで奉られている。いや、松岡は立花隆同様非常に優秀な編集者であったが、その冠が妥当とは言えないだろう。「知の巨人」とは、加藤周一や林達夫、今西錦司、吉本隆明等々ではないか。