大矢雅章『日本における銅版画の「メティエ」』を読む

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 大矢雅章『日本における銅版画の「メティエ」』(水声社)を読む。300ページを超える分厚いもの。副題が「1960年以降の日本現代銅版画表現のひろがりからの考察」とある。なんだか難しそうだ。読んでいくと、出典にはすべて註が付されていて、巻末に註が187も載っている。これって学術論文みたいだと思った。事実あとがきで博士論文を書籍化したものと書かれていた。目次を拾うと、

I  日本の銅版画の「メティエ」について
II 作家研究 それぞれのメティエ
  駒井哲郎
  加納光於
  深沢幸雄
III 自作について
IV 結論

 となっている。「はじめに」から読み進む。読みやすく明晰な文章が続く。その文体から大矢は野見山暁治のようにフランスに留学経験があるに違いないと略歴を見たがそれらしい記載はなかった。
 タイトル通り大矢は「メティエ」という言葉の検証にこだわる。現代フランスでは、それは専門的な技術を見に言付けた職業や、技術などの意味がある。銅版画に関しては、メティエは版刻や下絵を描く技術の意味で使われ、銅版画職人の習熟すべき技術となった。銅版画は元来複製銅版画制作のためのものだったが、19世紀半ば以降表現者としての画家・版画家の表現手段となった。それまで分業だった職人の手を離れて、作家として身を立てるために必要な全てをメティエとして身につけることになった。その後、それは作品の表現となる「エモーション」や「エスプリ」を表現するための熟達すべき技術となった。大矢が現代フランスの銅版画家に質問した結果として、「メティエ」という言葉が「エスプリ」を持たない技術だけで作品を作る人などを指しているとする。

(……)このような点から現代のヨーロッパの版画家にとって「メティエ」とは、作家が脳裏に浮かぶイメージを、銅版画として的確に製版し印刷出来る技術を「メティエ」として捉えていることが分かる。

 それに対して大矢は日本で使われている「メティエ」という言葉の意味を探っていく。日本では「メティエ」は「マティエール」と混同されてきた。しかし伊原宇三郎執筆『世界美術大辞典』では、

本来は職業・内職の意であるが、美術上ではその職業的技術の熟達をさす。(……)「あの画家は、良いマティエールが出せるだけのメティエをもっている」というように使わなければならない。日本では芸術といえば直ちに天分とか才能を云々するが、欧州では画家はメティエだという意識が非常に強いのでこの語は頻りに用いられる。

 さらに大矢は何人もの画家たちの言葉を分析し、日本では「メティエ」が、技術、表現、絵肌すべて含まれた意味での「マティエール」を指す言葉として使用されているとする。
 大矢は日本文化の中で、すでに和製外国語として定着しているとして、「メティエ」を職業や技術としての語義として改めて位置づける必要はないと書く。そして、

(……)和製外国語として近代日本美術の実技の世界に定着している「作者自身を象徴する個性的なマティエール」を、日本に於ける銅版画の「メティエ」として定義し考察すれば、西洋とは異なる価値基準で生まれた、日本独自の銅版画作品の在り方を検証出来よう。

 と書く。次いで、日本の銅版画史で駒井哲郎、狩野光於、深沢幸雄の3人を選び、そのメティエを研究していく。さすが、実作者だけあって、ここからが本書のキモになる。かれらの技術を研究し、同じ技術を使って大矢が実作までする。これらが私のようにただ見るだけの者にも大変役に立つ。作品のとくに技術的な見方を教えてくれる。作家が何を考えて制作しているのかも知ることができる。
 実作者による作家研究は、ピアニスト兼音楽評論家の青柳いずみこのピアニストの演奏会評論を思い出させる。観念的ではなく具体的実証的で技術に踏み込んで語っている。駒井、加納、深沢の価値観の違い、技法の違いなどがよく分かった。そして大矢は書く。「作家研究で、駒井哲郎、加納光於深沢幸雄らの初期の制作方法を考察した。彼らに共通いていたのは、イメージを写すことではなく、作り出したことにある。彼らの開拓した道は、後進によって整地され、技法は、探るものではなく、それを踏襲し学ぶものになった」と。
 本書の半ば過ぎから、大矢の「自作について」が書かれる。大矢と言えば昔すどう美術館の初個展や、ついで大手町画廊で発表した作品を思い出す。深い漆黒の黒が印象的だった。その色についても書かれている。
 最後に大矢が書く。

伝統的な技法を、自分の思いに向かって追求する中で生まれた、力強い漆黒を生み出す表現は、すでに著者作品の印象として、広く認知されている。それ故、作品は、戦後銅版画史の中で、オリジナリティーを持った一つの表現として見出すことが出来ると言えるだろう。

 大宅の高らかなマニフェストだ。
 本書は銅版画を学ぶ者にとっては必読の文献で、鑑賞する者にとってもきわめて有効な参考書となるだろう。

 

日本における銅版画の「メティエ」

日本における銅版画の「メティエ」