加賀乙彦『加賀乙彦 自伝』を読む

 加賀乙彦加賀乙彦 自伝』(集英社)を読む。「あとがき」に「わが生涯についての、増子信一さんの問いに対して私が正直に答え、それに註をつけ写真を補って成ったものである。結果として、ありのままの自伝になった」と書いている。一種の聞き書きだろう。とても読みやすくできている。300ページちかくあるのに2日足らずで読んでしまった。
 加賀には『永遠の都』『雲の都』という自伝的大河小説がある。それらは原稿用紙で9,000枚になり執筆機関も24年間もかかっている。そして、こうも言っている。「この二つの作品は、自伝ではなく、あくまでフィクションに力点を置いた小説である」と。それに比べて本書はわずか300ページ足らずでしかも読みやすいから、加賀の伝記を知ろうとすれば極めて手っ取り早い。いや、『永遠の都』と『雲の都』を読もうとする人は加賀の伝記が知りたくて読むわけではないだろうが。
 加賀が「フランドルの冬」で太宰治賞次席に選ばれたときのことは知っている。これは長篇の一部だと言って、しばらくして長篇『フランドルの冬』が刊行されて大変驚いたのだった。太宰治賞次席が雑誌『展望』に発表されたとき、私は高校の図書館で読んだと思う。
 でも加賀乙彦はそれ以来ほとんど読んでこなかった。『永遠の都』と『雲の都』について、加賀は次のように言っている。

 私は『永遠の都』『雲の都』を書くために作家になったような気がします。ああいうかたちでのリアリズム小説というのは、日本にはほとんど存在しません。長大にして多くの人物が入り乱れている。そのなかに中心となる一人の人物――その人物は自分に近い場合もあるし、遠い場合もある――が歴史のなかで動いていく。そんな小説を書いてみたかったのです。

 加賀はトルストイの『戦争と平和』が好きだったようだ。米川正夫訳の『戦争と平和』が原稿用紙で3,500枚だったことを意識している。読んでみたい気もするが、『永遠の都』と『雲の都』は全部で9,000枚という長さだという。それを聞くと躊躇してしまう。『戦争と平和』を読んだのは高校生のときで、いまはそこまでの余裕がない。
 長篇の『フランドルの冬』が芸術選奨文部大臣新人賞に選ばれたとき、大岡昇平からお祝いの電話をもらった。加賀は大岡を尊敬していたので本当に嬉しかったと言う。大岡は藝術院会員に推されたときにそれを辞退している。そのときの科白が「私は一兵卒で戦ったけれども、力足りなく捕虜となり、陛下のご要望に応えられなかった。そんな人間が藝術院の会員になるのは畏れ多い」というものだった。私は当時、大岡は本気でそんなことを考えているのか? と不思議だったが、その件について加賀が書いている。

……ちょうどそのときの記者会見の席に私もいたのですが、新聞記者が帰った後、「うまいだろ」ってべろって舌を出した(笑)。「この人は大物だ」と思いましたね。私なんか気が小さいから、断れなかったのですが(笑)。

 本書は集英社の名前が背に印刷されている。しかし裏表紙には「発行/ホーム社 発売/集英社」となっている。取次に口座がないとか、販売力がないときに出版社=発行所は大手の出版社に販売を依頼する。すると、これはホーム社の編集者が編集したのだろう。で、一か所誤りを指摘する。224ページの註18に「立原正秋(たちはら・まさあき)」とある。立原正秋の読みは「たちはら・せいしゅう」なのだ。註を作成したのはホーム社の編集者だろう。
 本書を読んだのをきっかけに『フランドルの冬』を読んでみよう。

加賀乙彦 自伝

加賀乙彦 自伝