窪田空穂『わが文学体験』を読む

 窪田空穂『わが文学体験』(岩波文庫)を読む。窪田については歌人ということよりほかほとんど知らなかったし、その歌も読んだ記憶がなかった。しかし近代文学者の自伝やエッセイが好きなので手に取ってみた。
 最初、空穂は歌論とか作歌の心構えなどについて書きはじめる。なんだか古臭いものを読み始めたような気がして、本書を手に取ったことを少しだけ悔いた。だが読み始めたものは最後まで読むのがモットーだから読むのをやめようとは思わなかった。それが全21章の6章めくらいから面白くなってきた。空穂の作歌活動と『明星』への投稿の経緯が綴られる。与謝野鉄幹との交流が書かれる。本書のあとがきで大岡信が「空穂の人物描写が常に冷静な批評精神とともにあったことを示す一例」と紹介している文章が書かれる。鉄幹が一座の者を向島百花園へ案内した。そこで鉄幹は得意な旧作を書いて示し即詠などもして楽し気であった。

 筆者(空穂)は東京在住の文人の、文人気質ともいうべきものを、初めて見せられたのであった。ゆかしさとか親しさとかを感じさせられるものではなかった。自身が野暮な田舎者であることを愧じる気も起こらなかったのである。

 空穂は友人に連れられてキリスト者植村正久の教会へ通い始める。そして洗礼を受けた。その空穂の植村正久評。

私は江戸時代の碩学佐藤一斎の語を記憶していた。それは、聖人は雨合羽のようで、ふわふわしているが、一か所できちんと止まっているというのである。先生はまさにそういう人に見えた。偉大(グレートネス)という語があるが、先生はそれに値する、人の世の稀れな存在だと思っていた。

 その後出版社など様々な仕事に就き、また歌集や国文学の注釈書なども書き、一時は女子美術学校で教えることもした。やがて坪内逍遥の目に留まり、国文学の講師として早稲田に迎えられる。結局最後は早稲田大学の名誉教授にまでなる。
 空穂の文章は自分を誇るところも飾るところもない。大岡信も「空穂の文章には、含み声の物言いや慇懃無礼の要素が皆無だ」というのが大きな特質だと言う。読んでいてとても気持ちが良かった。優れた文学者のことを知ったと思う。それが何よりの収穫だった。
 ちょっと面白いと思ったエピソードを書いておく。生後8カ月ほどの次女を病気で亡くしたとき神式で葬った。最寄りの白山神社に頼むと老齢の神官が来てくれた。空穂が神官に「あなたのお宮の神様は、何様なんですか」と訊ねると、「さあ、古くはあそこは貝塚だったんです。その上に棒でも立てて、神様にしていたところでしょう」と答えた。神社は「台地の上に立った、目につく大きな宮である」と書かれている。あの有名な白山神社だろうか。
 とても気持ちの良い読書だった。空穂についてもっと読んで見たいと思った。


わが文学体験 (岩波文庫)

わが文学体験 (岩波文庫)