吉田健一『昔話』を読む

 吉田健一『昔話』(講談社文芸文庫)を読む。吉田最晩年のエッセイで、雑誌『ユリイカ』に1975年から76年にかけて連載したもの。吉田はその翌年65歳で亡くなっている。
 吉田健一は戦後の首相吉田茂の息子で英文学者。評論、小説、随筆、翻訳などで活躍した。漢字をあまり知らない元首相麻生太郎は甥にあたる。
 私は吉田健一は翻訳を除けばこれが初めての読書になるのではないか。読みづらくてかなり苦労して読んだ。
 その読みづらい文章というのはこういうのを指している。

 確かに一つの文明の存在を脅かした危険の中で19世紀に入ってヨオロッパを見舞ったのは世界史の上からも稀有のものだったと言える。その世紀にヨオロッパで顕著になった科学の発達が稀有の現象だったのでこうして危険は外からでなくてこの科学の発達というヨオロッパの文明の性質から見て一つの当然の帰結であるものから来た。それが人間がそれまで知らなかったものであることから人を酔わせてもしそのままの状態が続いたならばこれは科学というものの性質から文明の正確に反対である人間の無視に人を導く他なかった。こういう時に文明の伝統がものを言う。それまで考えられなかったような破壊力を持つ武器を誰も思っても見なかった早さで運ぶことが出来て同じ種類のことが生産の面でも許されるとなれば人間は物慾の上で抗し難い誘惑にさらされることになるのでそれに打ち克ったのであるよりも初めからその誘惑の性質を見抜いていたものがいたということはヨオロッパの文明が真実に文明であることを示している。別な言い方をすればヨオロッパはその科学の発達で世界を蔽いながらそれ自体の文明を失わずにいた。

 また別の箇所を引く。

 この人間との何かの意味での交渉が我々の町での暮しでどれだけ重要な部分をなしているか、それが我々の町での暮しそのものではないかということは一般に余り人の注意を惹いていない。それが解り切ったことであるとか寧ろその刺激がない方が精神の平静が保てるとかいう風に見られている為と考えられるがその解り切ったことが我々の精神の糧をなしているので刺戟ということから精神の平静を危くすることに向って頭が働いてもそれならばこの刺激は精神の周囲に起ることに対する精神の不断の日常的な反応であって町の騒音が静寂の印象を与えるのと同じ働きをする。それ故にこれは興奮を招く種類の刺戟と区別されなければならなくて都会の刺戟というようなことは田舎ものの為に仕掛けられた観念の上での罠に過ぎない。確かに町の騒音はこれが耳に付き始めれば騒音に聞える。併しそこから再び我々の日常に戻る時にそれまで聞えていたものは静寂に変ってそのうちにあってわれわれの世界が拡る。

 もっと簡潔に言いうるはずだと思うのは、加藤周一の文章を知っているからだ。加藤ならこれらを的確に表現しただろう。
 読みづらかった文章としては花田清輝『復興期の精神』と磯崎新の建築論がそうだった。誰かが花田の『復興期〜』は戦前の執筆で、警察の追及を避けるための韜晦だったと言っていた。花田の戦後の本を読んでいないのでこの辺のことはよく分からない。磯崎は藤森照信との対談では平易な言葉で語っていた。彼が文章を書くと途端に難解になるのは、話す脳と書く脳が別になっているのだろうか。大江健三郎の次男の大江桜麻も話すとあまり上手ではなかったが、文章については周りの皆が称賛していた。あいつは話す脳と書く脳と二つ持っていると。


昔話 (講談社文芸文庫)

昔話 (講談社文芸文庫)