有田隆也『生物から生命へ』(ちくま新書)を読む。副題が「共進化で読みとく」とあるように、著者は「共進化」という概念を使って生命を考える。共進化とは2種の生物間で、お互いに利用しあったり、一方が他方を搾取するなどの関係にある状況だと説明される。そのような関係がお互いの進化に影響を与えあっている場合が「共進化」だという。
2010年にデンマークで開催された人工生命国際会議で発表された佐山弘樹の群れ行動に関わる研究が紹介される。その研究の前提となったクレイグ・レイノルズの鳥や魚の群れの動きを表すBiodsモデルについて、
(1) 近くの鳥たちの中心(重心)位置の方向を向く。
(2) 近くの鳥たちと同じ方向を向く。
(3) 近くの鳥たちや障害物を避ける方向を向く。
(中略)
あとは調味料として、多少のランダムさ、つまり、確率的にときどき方向や速度を少し変化させる操作を加えるだけで、Boidsの鳥たちは、計算機のディスプレイ上をリアルに飛び回る。群れの前方に障害物があったとしよう。そして、それによって群れが二分しても、またきれいに合流したりする。
人工生命研究の対象であり、しかも同時に目標とも言うべきものは、「創発現象」及び「オープンエンドな進化」であると言う。この言葉の定義は次のように説明されている。
創発現象:構成要素間の相互作用によって予期せぬ振舞い、機能、構造が生じる現象
オープンエンドな進化:定型パターンに至らずに新規性を生み続ける終わり無き進化
佐山弘樹の「群れ化学」モデルを2つに分けて、まず基本モデルが紹介される。
基本モデルのルールは次のようなものである(なお、佐山のモデルでは、上位レベルの階層が創発して、個体と呼ぶべき単位がダイナミックに変わっていくので、動き回る最小の構成要素を「粒子」と呼ぶことにする)。
(1) 近くに粒子がない場合、方向をランダムに変えながら動き回る。
(2) 近くに粒子がある場合、Boidsの3つのルールに、一定確率でランダムに向きを変えるというルールを加えた4つのルールに従う。
(3) それぞれの粒子は自身が持つ理想速度に近づこうとする。
(詳しい説明があるが略す)
群れのデータ表現を佐山は「レシピ」と呼んでいる。その実体は、群れに存在するタイプを表現するパラメータのセットと、それぞれのタイプに属する粒子の数である。
(中略)
実際に群れを混ぜ合わせていくと、ひとつひとつの群れの動きからは予測できないような思いがけない振舞いが生まれるのだった。たとえば、2つの群れとも同じ領域に留まっていたものが、混ぜ合わせた後には、一方向に向けて動きだしたり、あるいは、片方の群れのなかでもう一方の群れがくるくると回り出したのだ。そして、場合によっては、内側の群れが直線上を行ったり来たり振動することもあった。ミクロなレベルの記述に基づいて創発したマクロなレベルの構造が相互作用し、予想もできないような振舞いをさらに創発させたのである。
この基本モデルを対話型進化で自由に実験できるソフトウェアはインターネット上に公開されている。
http://bingweb.binghamton.edu/~sayama/SwarmChemistry/
ついで、佐山の発展モデルが紹介される。
基本モデルでは、ユーザの手作業によって、好きな群れを選んで混ぜ合わせ、挙動を少し変えたい時には突然変異を加え、残したくない群れは消すということを繰り返した。発展モデルで目指すのは、人手に頼らずに、自律的にオープンエンドな進化をするシステムだ。その実現に向けて、基本モデルに加えた変更点は以下の通りである。
(1) 各粒子は複数のパラメータセット(レシピ)を持つ。
(2) 粒子の状態として、活性状態に加え、新たに非活性状態を導入する。初期状態のほとんどの粒子は非活性状態とし、それらはレシピを持たずに静止している。
(3) 活性状態の粒子が非活性状態の粒子に衝突すると、レシピが活性状態の粒子から非活性状態の粒子にコピーされ、非活性状態の粒子では、そのレシピの中のひとつのパラメータセットを使用した活性状態に遷移する。
(4) 活性状態の粒子は、小さな確率でレシピ中の別のパラメータセットに切り替える。
(5) 活性状態の粒子同士が衝突すると、片方のレシピが相手側に上書きコピーされる(選択)。その際、小さな確率でパラメータが書き変わる(突然変異)。
このようにして、進化が起こる最低限のメカニズムを導入したので、マクロな構造(メタ個体)がもつ機能に応じて、形態発生や自己修復が原理的には可能なモデルへと発展した。つまり、最初に個体発生のプロセスとして活性状態粒子が広がっていき、その後、超個体としてのマクロなパターンが自己組織的に形成されて動き回り、他の超個体との相互作用に応じて、マクロなレベルの進化が実現されるというシナリオである。
(中略)
実際にこのモデルを動かした様子を見ると、先駆的モデルであったBoidsとはかなり趣が異なっていることがわかる。Boidsの場合は、基本的に、鳥の群れがリアルだったと感心するものだったが、佐山の発展モデルの場合は、次にどうなっていくのか、次にどのような構造が生まれるのか、というように、興味津々で進化の過程に見入るという感じになる。
最後に「コト的生命観による越境」という章が立てられる。その冒頭で、
本書では、個体の枠、物質としての制約から生命を相対化し、生きるというプロセス、特に共進化という観点から生命を探る試みについて論じてきた。このようなコト的生命観の模索の作業がいったいいかなる意味を持つのか、一見、まったく別の分野に見えるアートの観点から考えてみよう。
そこで取り上げられるのがダダイスト詩人と呼ばれた高橋新吉であり、美術家で建築も行った荒川修作であり、「計算機内に作り上げた数学的な人工世界における神の概念の創造」というテーマの(実在しない)小説に関する書評(『完全な真空』)を書くスタニスワフ・レムであり、草間彌生であり、ロシア・アヴァンギャルドのシュプレマティズムを創始したカジミール・マレーヴィチだ。
「あとがき」で、
新しい研究の方法論に基づいて、巨視的な時空間の中に生命の共進化シナリオを描くことによって、物質から相対化したコト的生命観をつくり、それによって、我々ヒトがいかなる生き物なのか、自分という生物種を深く理解できるようになったのならば、それはヒトにとって、とてつもない飛躍を意味するだろう。
進化をこんな風に考えることができるなんて、わくわくしながら読んだのだった。多少難しいかもしれないが、新しい世界が広がるのを感じることができる。「進化」の概念が相対化され、数学的(?)に記述できるようになるのだろうか。地味なタイトルのせいもあって、昨年4月に購入したのに読んだのが10カ月後だった。タイトルで損をしているのではないか。おもしろかったので、著者の他の著作『心はプログラムできるか』(サイエンス・アイ新書)も読んでみたい。
- 作者: 有田隆也
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/04/01
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