「和歌とは何か」がおもしろい

 渡部泰明「和歌とは何か」(岩波新書)がおもしろい。前半が「和歌のレトリック」として、枕詞、序詞、掛詞、縁語、本歌取りが解説される。これらが、具体的に和歌を引用して丁寧に解き明かされる。
 後半は「行為としての和歌」として、問答歌、歌合、屏風歌・障子歌、柿本人麻呂影供、古今伝授という、和歌の生まれた空間や場所、催し事が解説される。
 いままでこういう形式の解説書は少なかったのではないか。面白く読めて役に立ったと思う。その一部を紹介すると、

    摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿に逢う恋といへる心をよめる
             皇嘉門院別当
 難波江(なにはえ)の芦のかりねの一夜(ひとよ)ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき


  摂政〔九条兼実〕が右大臣であった時に、その家で催された歌合で、「旅の宿りで夜をともにした恋」という題を詠んだ歌
 芦の茂る難波の入り江で、たった一晩かりそめの枕を交わしただけで、命をかけて恋い慕い続けなければならないのでしょうか。


 有名な『百人一首』の歌である。和歌の専門家のような顔をしていると、『百人一首』のうちでどれがもっともいい歌ですか、とか、一番好きな歌はどれですか、などと聞かれることがよくある。秀歌中の秀歌を集めたものなのだから、答えるのも容易ではない。そこで、情熱的な歌ならこれ、楽屋話が面白いのはこれ、などとその場に合わせて返答するようにしているが、「一番うまい歌」として私が推薦するのは、この皇嘉門院別当の歌である。神がかり、といってよいほどのうまさだと思う。
百人一首』に入って著名になったが、実は皇嘉門院別当は、もともとさほどの歌人ではない。『百人一首』の歌人となったのも予想外の幸運というべきで、彼女より歌力も実績も上回る歌人は、同時代の女流歌人に限っても、少なからず存在する。さては、藤原定家、情実にでも動かされたか、と疑いたくなる。だが、これは、歌そのものの出来栄えに定家が感動したからにほかならない。そしてそれは絶妙無類の縁語の存在による、と私はにらんでいる。

 引用が長くなったので、この縁語が具体的にどのように効果的なのかは本書90ページを立ち読みでもいいので覗いてほしい。その結果、

 収まったという結果から見れば、「難波江」「芦」「かりね」「夜」「身をつくし」「わたる」と次々に繰り出される縁語も、最初からそう予定されていたかのように、居るべき場所に居る、という印象を与える。とくに、「一夜ゆゑ」と絞り込んでいった直後に、一転して「身を尽くしてや恋ひわたる」と心が暴走していく呼吸は、感嘆する以外にない。一夜の出会いが運命的なものであり、それゆえ恋の懊悩が宿命にほかならなかったことを納得させる。厄介きわまる題が、人々にしっかり共有できる言葉に仕立て上げられたのである。これはもう皇嘉門院別当の技巧でもなければ技量でもない。この程度の歌人でも、歌の神に愛されたならば、こういう歌を生み出すことができる。藤原定家が一首をあえて選び出したのも、そう心動かされたからではなかっただろうか。

 すばらしい解説だと誰でも感嘆するだろう。

和歌とは何か (岩波新書)

和歌とは何か (岩波新書)