植松黎『カラー図説 毒草の誘惑』を読む

 植松黎『カラー図説 毒草の誘惑』(講談社+α文庫)を読む。40種類の毒草が取り上げられている。毒草=有毒植物の図鑑であるが、エッセイとして面白く優れている。この人なら何を書いても面白いだろうと思わせるほどだ。
 ケシについては20ページを費やして、アヘンの歴史からアヘンの精製方法、吸引の仕方まで書いている。キョウチクトウは青酸カリより猛毒って本当だろうか。コブシは樹皮に矢毒と同じ成分を持っているという。スイセンは切り花の汁でアレルギーを起こし、ひどい皮膚炎になった人もいるらしい。私の飼い猫もスイセンを活けてあった水を飲んで吐いたことがあった。
 キノコのドクササコの中毒について、鉄板の上のフランクフルトソーセージのように手足が赤茶けてぱんぱんに腫れあがり、日がたつにつれ痛みはますます激しくなり、焔があがっている焼きゴテを押付けられたような痛みが執拗に続き、気も狂わんばかりに悶絶するという。植松はそのドクササコを試食してみる。ドクササコの毒は水溶性だと聞いていたので、水に浸すと水の色が変わった。水を捨て、キノコを搾ってオムレツを作って1本食べたが何でもなかった、と。
 マオウ科のマオウを研究してエフェドリンを発見したのは日本人化学者だった。エフェドリンを還元したものがメタンフェタミンで興奮作用がある。戦争中に特攻隊員などの士気を高めるために使用された。頭がすっきりして思考力や判断力が増し、眠気がなくなり疲労感も吹っ飛ぶ。戦争が終わると余った薬がヒロポンという名で市場に出回った。わが師山本弘も戦後ヒロポン中毒に苦しんだという。
 植松は幻の毒草G.エレガンスを求めてタイの奥地まで行っている。ようやく探し当てて持ち帰ったら、同じものが正倉院に献納されていたという。
 植松はエッセイストとしても優れていると思う。毒草以外についても何か書いてみてほしいと思った。

 

 

 

 

野木萌葱 作『三億円事件』をシアター711で見る

 野木萌葱 作『三億円事件』を下北沢のシアター711で見た(10月15日)。ウォーキング・スタッフ プロデュース、和田典明 演出。
 三億円事件は1968年に府中市で実際に起こった現金3億円強奪事件。事件は7年後時効になった。芝居は時効3カ月前の府中署の特別捜査本部での刑事たちを描いている。時効を間近に控えほとんどの刑事たちが移動して操作本部を去り、いまでは数人しか残されていない。府中署刑事課の4人と警視庁捜査一課から来た4人が対立する。
 次いで時効2か月前、時効1か月前の同じ捜査本部での緊迫した会話が続く。会話というより怒鳴り合いだ。そして時効前夜、
 野木は三億円事件の捜査本部など、閉ざされた場所での緊迫した台詞劇を好む。『東京裁判』は、日本人弁護士たちの葛藤を、『骨と十字架』では北京原人の発見に関わったカトリック神父であり古生物学者のテイヤールに対するヴァチカンの、カトリックの教義と進化論の矛盾をめぐる論争劇だ。いずれも緊迫する科白の応酬が見る者の緊張を緩めさせない。見事な構成だ。野木が劇作家として優れた才能を有していることはだれしも異議を唱えないだろう。
 ただ、論争の面白さが第一のテーマに思えてしまうのは、時事的なことへの批判、深い思想性が読み取りにくいことだ。だが、野木の面白さは群を抜いており、今後も彼女の舞台は見逃さないつもりだ。

 

木村泰司『ゴッホとゴーギャン』を読む

 木村泰司『ゴッホゴーギャン』(ちくま新書)を読む。印象派の画家たちを紹介し、ピサロ印象派の長老として語り、新印象派のスーラ、シニャックを取り上げる。
そして本命はやはりセザンヌゴッホゴーギャンだ。3人の伝記が比較的詳しく綴られる。近代絵画が彼から始まったとされるセザンヌ

ニコラ・プッサンを自然の上に甦らせようとした試みたセザンヌは、規律が取れたプッサンの作品のように秩序ある空間構成を表現しようとしたのだった。「近代絵画の父」と称されることの多いセザンヌであるが、やはりプッサンを抜きにしてフランス美術を語れないのである。フランスの画家らしくセザンヌは、明確でバランスのとれた構図と精密なデッサンを重視したプッサン由来の古典主義と印象主義の融合を図ったのだ。

ゴッホはアルルでたくさんの傑作を生みだす。しかしゴーギャンとの確執で耳切事件を起こしたゴッホはサン=レミへ、そしてオーヴェルへ移り、ここでもまた傑作を生みだしていく。オーヴェルでは2か月間に70点も描いている。油彩画だけでも900点近い作品を残したゴッホは生前ほとんど認められることなく自殺してしまった。
 ゴーギャンもヨーロッパからタヒチへ去っていく。画家としてヨーロッパでは成功しなかった。タヒチでは現地人のモデルや召使をモデル兼愛人にする。ゴーギャンが何人もの少女妻を娶ったのに対して、ゴッホはいつも年上の娼婦や未亡人と同棲していた。二人のこの懸隔は何なのか。
 ゴッホゴーギャンセザンヌの絵は知っていても、伝記までは詳しく知らなかったので、教えられることが多かった。画家たちの影響関係も紹介されていて、とても参考になった。

 

 

カラー新書 ゴッホとゴーギャン (ちくま新書)

カラー新書 ゴッホとゴーギャン (ちくま新書)

 

 

 

植松黎『毒草を食べてみた』を読む

 植松黎『毒草を食べてみた』(文春新書)を読む。ドクウツギからトリカブト、ケシ、チョウセンアサガオなど44種類の毒草について、植物学的な説明やどのように有毒か、有毒成分は化学的にどんなか、またそれにまつわるエピソードを書いている。これがとても興味深い。さらに題名にあるように、植松はしばしば毒草の一部を口にして、中毒症状を報告している。
 ライ麦に寄生する菌が作るバッカクによって10世紀にフランスで4万人が死亡した。妊娠している女性は赤ん坊を死産した。1943年にスイスの製薬会社の研究員がバッカクアルカロイドを研究していて、偶然LSDを発明してしまった。
 スズランも毒草で、アメリカの子どもたちは毎年何人も中毒になっている。秋になると真っ赤な実をつけるが、それを食べて命を落とすのだ。スズランの毒は実のほかに花や葉にも含まれている。
 ケシからアヘンが作られるが、そのアヘンの具体的な吸い方が解説されている。そればかりか、写真付きでケシの実からアヘンを作る手順が紹介されている。私も小学校5、6年生のとき、担任の宮島光男先生がアヘンの採取の仕方を教えてくれたが、ここまで詳しくなかった。もっともアヘンの採れるケシが手近にあるわけでもないから、一度も試したことはないが。
 ナス科のマンドレークは、かつては植物界のバイアグラともいうべき存在だと信じられていた。旧訳聖書にも実りと生殖をもたらす「恋なすび」とある。
 垣根に植えられているイチイも猛毒で、毒成分は葉にも枝にもタネにも含まれている。しかし赤く熟した実の部分だけは毒をもたない。私も子供の頃、近所の生け垣のイチイの実を採って食べていた。さすがに硬いタネは吐き出していたが、タネを飲み込んでいたら中毒を起こすところだった。
 マオウからはヒロポンが作られた。第二次世界大戦で需要が高まり、戦争が終わって余剰品が街にあふれだした。わが師山本弘も戦後ヒロポン中毒に苦しんだのだった。
 ドクニンジンはソクラテスが死刑になったときに飲まされたことで有名だ。中枢神経に作用して最後は窒息死に至る。
 毒草を解説してとても興味深かった。植松は昨年朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』に毒草に関するエッセイを連載したが、内容のあまりの過激さからか、3回で中止になってしまった。本ブログにその一部を紹介したことがある。

 

 

毒草を食べてみた (文春新書)

毒草を食べてみた (文春新書)

 

 

井田太郎『酒井抱一』を読む

 井田太郎『酒井抱一』(岩波新書)を読む。これがとても面白かった。井田は日本文学研究者、そのためもあって抱一の俳句の研究に前半を費やす。 抱一は姫路藩の酒井雅樂頭家の次男に生まれた。兄が家督を継いで藩主となり、次いでその息子、またその弟が姫路藩主をつとめた。抱一は次第に藩の中心から周辺に押しやられていき、37歳で出家する。おそらく出家させられたのだろうと。藩の財政は厳しく、俳諧や絵画に熱中して武士の本分を逸脱していた抱一に分家させるような余裕はなかった。
 抱一は芭蕉の弟子だった其角の俳句に傾倒する。その俳句の傾向などから抱一の絵が生まれたと説いている。個々の絵画作品を分析して、抱一を紹介してくれる。代表作の夏秋草図屏風に至るまでの抱一の研鑚ぶりを語る。
 井田はしばしば玉蟲敏子の研究を参照する。玉蟲といえば、『もっと知りたい酒井抱一』(東京美術)が名著だった。彼女は静嘉堂文庫の主任学芸員をつとめ、現在は武蔵野美術大学で教えているらしい。この本は「夏秋草図屏風」の詳細な分析からなっていて、とても多くのことを教えられた。井田も巻末で「玉蟲敏子先生に深く鳴謝する」って書いている。(この「鳴謝」って言葉初めて知った)。
 抱一に関するとても優れた紹介書だと、抱一に関心のある人達に広く勧めたい。玉蟲の本も併せてぜひ。

 

※追記

 朝日新聞の俳句時評のコラム、青木亮人「歴史性と現在」より一部引用する(10月27日付)。

井田太郎(46)の『酒井抱一』(9月、岩波新書)も刺激的な良書だ。江戸後期に大名家の粋人として名を馳せた抱一を論じた労作で、琳派の画業と其角流俳諧を両手に携えた文化人の作品を昧読する。抱一句は其角の「古句と積極的に唱和し、類似させ、重ねつつ」詠むため、独自の個性を是とする近代俳句観では低評価だった。井田は江戸後期の芸術観を丹念に復元しつつ、抱一の画俳にまたがる文雅の豊穣さを綴る。そこには近現代俳句が当然と信じる価値観と異なるディレッタントの世界が広がっているのだ。

 

酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情 (岩波新書)

酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情 (岩波新書)

 

 

 

もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)