佐藤俊樹『社会学の新地平』を読む

 佐藤俊樹社会学の新地平』(岩波新書)を読む。副題が「ウェーバーからルーマンへ」というもの。ウェーバーは「資本主義の始まり」を論じた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著者だ。

 毎日新聞松原隆一郎が書評を書いている(2024年1月6日付け)。

(……)一読して驚いた。ウェーバーが追及した「資本主義の精神」とはズバリ「合理的組織」のあり方だ、というのだ。けれどもウェーバーは少数の事例を挙げるにとどまり、その仕組みの分析にはたどりつかなかった。

 1920年ウェーバー死後その解明に取り組んだのが、合理的組織は「意思決定の連鎖により環境変化に対応していく」と解釈したH. A.サイモンの組織論でありP.ブラウ、R.マートンやC.ライト・ミルズらの官僚制研究で、決定版がN.ルーマンの「自己産出系」論だと本書は学説の流れを読む。前の決定を前提とし拘束されて後の決定がなされていくが、どのくらい実現するかは後の決定に依存する、と著者ならではの説明で最前線の組織論が要約されている。

 

 大塚久雄ウェーバーを紹介していたが、佐藤俊樹は大御所大塚久雄を鋭く批判する。なるほど、学問の進化というものが確実になされていることがよく分かった。

 私はマックス・ウェーバーをほとんど読んでこなかった。本書はそんな初心者にとってもマックス・ウェーバー社会学が要領よく学べ、しかもルーマンの業績と併せてその最新の研究成果が示される。

 

(……)近代資本主義を成立させた具体的な原因として、ウェーバーは一つではなく、少なくとも二つ考えていた。一つはいうまでもなく(1)プロテスタンティズムの禁欲原理であり、もう一つは(2)会社の名の下で共同責任制をとり、会社固有の財産をもつ法人会社の制度である。少なくともその両方がなければ、西欧でも近代資本主義は成立しなかった。

 

 一言でいえば、ウェーバーは自分自身が見出した「合理的組織」とは本当はどんなものなのかを、明確にとらえることには失敗した。だから、プロテスタンティズムの禁欲倫理と近代資本主義がどのように関連するのかに関しても、曖昧で混乱した議論を残した。

 「合理的組織」とは何かを解くことは、それゆえ彼以降の社会科学の展開に委ねられることになった。ニクラス・ルーマンの自己産出的な組織システム論と、それを一般化したコミュニケーションシステム論の構築は、そこに関わってくる。「資本主義の精神」をめぐる探求の、一つの終着点もそこにある。

 

 ウェーバーもそうやって考えていったのだと思う。亡くなる直前の倫理論文でも、「資本主義の精神」とは何かを明確には示せなかったが、十分な手がかりは残してくれた。その後の経営学社会学の組織研究、さらにそれらを理論化したルーマンの組織システム論をふまえていえば、「資本主義の精神」とは、決めなければならない自由を生きることであり、それが、水平的な協働ができるような形に自分や他人の働き方を組織することにもなった。

 

 本書を読んで、しかし老い先の短い自分にとって、改めて『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む気にはなれなかった。ほかにも未読の蔵書がたっぷり溜まっている身としては。