梅崎春生『カロや』を読む

 梅崎春生『カロや』(中公文庫)を読む。梅崎は飼った猫をカロと名付ける。4代にわたって飼われたが、いずれもカロと名付けられた。その3代目のカロについて、

 

(……)カロが、我が家の茶の間を通るとき、高さが5寸ばかりになる。私が茶の間にいるとき、ことに食事時には、そういう具合に低くなる。ジャングルを忍び歩く虎か豹のように、頭を低くし背をかがめ、すり足で歩くのだ。

 なぜこんな姿勢になるかというと、私が彼を打擲(ちょうちゃく)するからだ。カロを叩くために、猫たたきを3本用意し、茶の間のあちこちに置いてある。どこにいても手を伸ばせば、すぐ掌にとれるようにしてある。カロが背を低くして忍び歩くのは、私の眼をおそれ、この猫たたきをはばかっているのである。

 猫たたきというのは、長さ2尺ばかり。先端を丸く編んだ、一種の竹棒である。べつだん珍しいものでも、特別あつらえのものでもない。荒物屋に行って、蠅たたきを呉れと言えば、これを出して呉れる。1本20円か30円ぐらいのものだ。

 何故この猫たたきをもって彼を打擲するか。私はこの頃カロにたいして、いろいろと腹を立てることがあるのだ。

 

 カロは茶の間に「私」がいないときは、卓上に前脚をかけ、すばやく食物をかすめ取るのだという。台所のすみには、ちゃんとカロ用の皿があって、そこにはいつも彼の食事がしつらえてある。ところがカロはそれを喜んで食べない。カロは美食家なので、汁かけ飯などには、てんで眼も呉れない。煮干しを入れてやっても、よほどの時でなければ、食べようともしない。鰯ならしぶしぶ食べる。

 それに対して食卓の上の物ならば何でも食べる。それで「私」はカロに腹を立てる。

 しかし、蠅たたきで猫を叩くのは虐待ではないか。腹が立ったときは、蠅叩きを水平に打つという。もう何本も蠅たたきを壊したほどだ。

 猫好きとしてはあまり楽しい読書ではなかった。