梅崎春生『悪酒の時代 猫のことなど』を読む

 梅崎春生『悪酒の時代 猫のことなど』(講談社文芸文庫)を読む。副題が「梅崎春生随筆集」。梅崎は大昔、もう50年ほど前に『桜島・日の果て』あたりを読んだきりだった。本書の題名に「猫のことなど」とあって興味を持った。随筆集としては面白くて楽しめた。しかし、その「猫」のことだ。「カロ」と「猫のことなど」と題したエッセイが収められている。
 「カロ」を読むと冒頭次のような記述がある。

 カロというのは、私の家に住みついている猫の名前。三代目にあたる。
 初代のカロは、近所で仕掛けた毒団子で斃死し、二代目は流産のため悶死した。
 先代病没の二三日後、どこからともなく迷い込んできた仔猫が、現在のカロで、毛色は先代先々代と違って赤トラである。

 この三代目のカロが人間の食事時になると食物を狙って茶の間に入ってきて、隙あれば食卓に前脚をかけてすばやく食物をかすめ取っていく。それが梅崎の癪に障る。猫に食物を与えていないわけではない。しかしカロは人間の食事の方がおいしいと思っているようだ。そして食卓の上のものならば何でも食べてしまう。タクアンだって南瓜の煮付けだって、何だってくわえていって庭の隅でこそこそと旨そうに食べる。ある時なんてコルク栓だって齧って半分ほど食べてしまった。
 梅崎はカロを見付けると蠅たたきで打擲する。それでカロは梅崎が茶の間にいるとき、ことに食事時は頭を低くし背をかがめ、すり足で入ってくる。頭から尻尾の先まで1メートル近くある大きな猫が、その時は高さが15センチくらいになる。
 ついで「猫のことなど」というエッセイにはその後のことが書かれている。

 私の家にカロという名の猫がいて、どういうわけか我が家の愛猫はみんな短命で、死にかわり生きかわり、現在のところ四代目であるが、先年小説のタネに困ったわけではないけれども、この猫のことを小説に書いたことがある。
 どういうことを書いたかと言うと、単に飼い猫の生態のみならず、飼い主たる私とのかかわり、猫の所業に対する私の反応、そういうものを虚実とりまぜて、デッチ上げというと言い過ぎになるが、とにかく一篇の小説に仕立てて某雑誌に寄稿した。(中略)
 それからいよいよその号が発行されて一箇月ばかりの間に、私はこの小説について、読者から数十通のハガキや手紙をもらった。(中略)内容の趣旨はすべてほとんど同一で、私に対する非難、攻撃、訓戒、憎悪、罵倒というようなものばかりである。猫を飼うのはいいが、その猫をあんなにいじめるとは何事か。蠅叩きで猫を打擲するとは言語道断である。以後お前の小説は絶対に読んでやらないぞ首をくくって死んでしまえ。(中略)
 宛名も私の名だけで様や殿をはぶく、亢奮のためか書き落としたのか、尊敬する価値なしとことさら省略したのか、そんなのが総数の四分の一をしめている。

 梅崎は小説を書いたと言っている。するとエッセイの「カロ」ではないようだ。巻末の年譜を見ると、「カロ三代」という短篇小説を書いている。それは『梅崎春生全集第3巻』に収められている。それを読んで見た。
 これは本当に猫虐待というようなことが書かれている。猫を打擲するための蠅叩きについて、竹の蠅叩きを5本ほど買い求め、居間に3本、書斎と台所に各1本常備している。腹が立った場合には先端の丸い部分を平らにではなく横にして叩く。自分の膝やすねを実験台にして試みてみたら、当り場所によっては呼吸がとまるほど痛い。
 友人の画家秋野卓美君が時々遊びに来て、カロを写生したりする。ある時知合いからもらったスズキを三枚におろした。油断をしたらカロがその大きな一切れをくわえて逃げた。二人で追いかけたが逃げられて、スズキはカロに食べられてしまった。
 とくに怒った秋野君がカロを一室に閉じ込め、15分経って画伯とカロが出てきた。カロはげっそりしたような顔でかすかにビッコを引いている。よろよろと台所の方に歩いて行った。
 その夜からカロは姿を消し、3日後に隣のH氏がカロがH家の天井裏で死んでいると知らせてくれた。
 全くひどい話だと思う。私だって梅崎あてに抗議の手紙を書いたかもしれない。しかし冷静によめば、梅崎は先のエッセイで、「虚実とりまぜて、デッチ上げというと言い過ぎになるが、とにかく一篇の小説に仕立てて」と書いている。また「人間がいろんな苦難にあう、(中略)それに対して人間好きがヒュウマニズムの立場から抗議したという話はあまり聞いたことがない。だのに猫を書けばネコマニズムは直ちに抗議をする。変な愛情もあればあったものだ」と書いている。これは創作なのだった。
 奥さんの話では、梅崎は猫を可愛がっていたという。創作だと理解してあまり目くじらを立てるものではないのかもしれない。
 梅崎は1965年7月19日に50歳で亡くなっている。本書は2015年11月10日に発行されている。梅崎没後50年が経過している、ということはすでに著作権が切れている。つまり印税を支払う必要がないということだ。他人事ながらちょっと虚しい。


梅崎春生全集〈第3巻〉 (1967年)

梅崎春生全集〈第3巻〉 (1967年)