斎藤美奈子『日本の同時代小説』を読む

 斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書)を読む。「はじめに」で、「明治以降の小説の歴史を知りたい人にとって、岩波新書中村光夫『日本の近代小説』(1954)、『日本の現代小説』(1968)は親切な入門書、かつ便利なガイドブックです。前者は明治大正の、後者は昭和の文学史です」と書いている。しかしこの2冊の最大の難点は1960年代で話が終わってしまうことだと斎藤は言う。それで1960年代から2010年代までをカバーする本書を企画したという。
 本書は作家でなく作品を中心に考えたという。目次にこの特色が現れている。
1 1960年代 知識人の凋落
2 1970年代 記録文学の時代
3 1980年代 遊園地化する純文学
4 1990年代 女性作家の台頭
5 2000年代 戦争と格差社会
6 2010年代 ディストピアを超えて
 70年代の純文学として、五木寛之の『青春の門』、井上ひさしの『青葉茂れる』、中上健次の『岬』、『枯木灘』、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』、宮本輝高橋三千綱が現れ、村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューするのが1979年だった。
 「2000年代 戦争と格差社会」の章で、村上春樹の『1Q89』が取り上げられる。

 ジョージ・オーウェル『1984』(原著1949)を意識しつつ、オウム真理教事件や9.11への連想を誘いつつ進む物語。ではありますが、天吾とふかえりの物語は広義の「少女小説」の、青豆と柳屋敷の物語は「殺人(テロ)小説」のトレンドに乗っています。DV男は処刑すればいいという緒方夫人や青豆の認識は、復讐の仕方として最低最悪で(現実を見誤るという意味では有害ですらあります)、村上春樹がいかにこうした問題に不注意かを示しているのですが、注目すべきは、ここに「テロを肯定する思想」が流れていることです、殺人が日常茶飯事の村上龍ではあるまいし、通常の意味では連続殺人犯である女性(青豆)を主人公にするなど、かつての村上春樹ではありえないことでした。

 渡辺淳一愛の流刑地』では、売れない小説家・村井菊治(45歳)と、3人の子どもがいる主婦・入江冬香(36歳)はデートといえば村尾の部屋で性行為にふけるだけ。しかも村尾は、冬香の求めに応じ、性交の絶頂において彼女を絞め殺す。小説の後半は、村尾の獄中での妄想と法廷劇となるが、愛人を絞殺する行為が「愛」だと強調される。
村上春樹渡辺淳一までが主人公に殺害をさせ、それに肯定的な意味を持たせる。2000年代はそういう時代だったと。
 斎藤はここ60年間の小説によく目を通し、それらを詳しく読み込んで同時代小説の見取り図を提供してくれた。この海図に沿って同時代小説を読んでいけば無駄なく知りたい世界に到達できるだろう。斎藤こそ同時代小説の優れた水先案内人だ。

 

 

 

日本の同時代小説 (岩波新書)

日本の同時代小説 (岩波新書)