井伏鱒二『文士の風貌』を読む

 井伏鱒二『文士の風貌』(福武文庫)を読む。太宰治小林秀雄志賀直哉尾崎一雄永井龍雄、大岡昇平三島由紀夫など56人の文士の横顔をスケッチしている。一人平均5ページ強と短い。前半は昭和初期に発行された『明治大正文學全集』(途中で『明治大正昭和文學全集』と改題、春陽堂刊)の月報として書かれたもの。後半は折々に書かれた作家たちに関する簡単なエッセイ。
 月報の文章で目立つのは、テーマとされる作家についてしばしば、「私は××氏を知らない」「あまりよく知らない」という記述である。また本質的とは思われないエピソードで一文を済ませている。井伏も依頼した編集者も何を考えていたんだろう。
 後半で、井伏が昔、森鴎外に匿名で手紙を書いたというのは面白かった。『伊澤蘭軒』連載中の鴎外に宛てて、蘭軒父子は井伊直弼に命じられて藩主である阿部正弘を毒殺した、そんな人物の史伝を書くのは理解できないと書いた。それに対して鴎外は『伊澤蘭軒』に井伏の匿名の手紙を全文引用し、阿部正弘が死んだのは蘭軒や長安が死んでから何年も後のことで、正弘の治療にあたったのは拍軒であったこと、伊澤父子3人とも彦根には一度もいたことがない、虚構も甚だしいと書いているという。
 後半の文章は、亡くなった作家の追悼文が多い。青柳瑞穂はピアニスト青柳いづみこの祖父であり、詩人でフランス文学の翻訳家、美術評論家で骨董好きだったと書いている。骨董屋で尾形光琳の軸を発見した話は有名だ。当時7円50銭で買って、200円かけて表装したという。その軸は重要美術品にもなっている。
 読み終えて印象に残ったことは、井伏は文章が下手だということだ。成功した作家としては驚くべきことだ。もし『黒い雨』の成功がなかったら、単なるマイナーな作家という評価で終わっていたのではないか。もっとも私はその長篇を読んではいないが。初期の短篇作品は結構ファンがいて、つげ義春も強く影響を受けた漫画を描いているし、現代音楽の作曲家藤家渓子にも「屋根の上のサワン」を原作にしたモノローグ・オペラ『赤い凪』がある。
 井伏鱒二というと「勧酒」の漢詩を訳した詩「酒ヲ勧ム」が有名だ。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 この詩は亡くなった友人原和が最後に愛唱していたという思い出がある。そのことを考えるとこれ以上井伏に批判的なことは書けなくなる。


井伏鱒二とつげ義春の類似性(2009年11月2日)


文士の風貌 (福武文庫)

文士の風貌 (福武文庫)