清水好子『紫式部』を読む

 清水好子紫式部』(岩波新書)を読む。私は紫式部に関する本をこれ1冊しか読んでいない。にも関わらず、本書がきわめて優れた紫式部論だと断言できる。源氏物語論ではなく紫式部論である。本書の3/4まで源氏物語には触れられない。まさに紫式部の伝記となっている。主として、「紫式部集」という和歌集に即して彼女の一生をたどっている。和歌は著者によるていねいな現代語訳がついていて、私のような初心者にも分かりやすい。
 紫式部の歌とその解釈、式部は結婚して数年で夫を亡くす。

……夫の死にかんするもので贈答でない歌はつぎの1首のみである。


     世のはかなきことを嘆くころ、陸奥(みちのく)に名ある所々を
     書いたる絵を見て、塩釜
48 見し人の煙(けぶり)となりし夕べより名ぞむつましき塩釜の浦


 この世の無常を嘆いているころ、といえば夫の死の直後と考えるべきである。奥州の名所を画いた名所絵の屏風などを見ていたのであろう。そのなかで陸中塩釜の浦では、古くから製塩の神を祭っていたが、かならずしも塩焼く煙が立ちこめた図柄であったかどうか。式部の歌にも「名ぞむつましき」とあって、もっぱら「塩釜」という地名から塩焼く煙の立つさまを思い描いているごとくである。「見し人」は当時の「見る」ということが、男女の他人ならざる関係にある場合を意味するので、夫の意になる。夫が葬られて煙と化した夕べからこちら、塩釜の浦という名さえ懐かしく思われるというのである。夫が恋しい、その死が辛い悲しいというのではなくて、実際には行ったこともなく、行くこともない名所絵を見て、その名前を聞いただけでも身近なものに思われるとは、この上なく抑制された表現というよりほかはない。塩焼く煙が火葬の煙を連想させるというなら、類似の発想もあろうけれど、そのような具体的形象に託さずに、ただ地名を聞いただけで、それが親しいものに思えると、それほど見るもの聞くもの一切に、夫を失った思いを寄せて見ずにいられないおのれの日々を、静かに見つめる式部の眼が感じられる。

 本書を読みながら、紫式部がはるかに遠い歴史上の源氏物語の作者というのではなく、現代に生きる女性のように思えるほど身近な存在に感じられた。それはすべて著者清水好子の筆による。きわめて優れた紫式部論と断言する理由である。
 紫式部がどのような生い立ちをへて、友人たちと手紙を交わし、藤原宣孝と結婚し、1女を得てまもなく夫と死に別れ、一条天皇中宮彰子のもとに宮仕えし、源氏物語を書き、亡くなるまでのことが、多くはない資料から再構成させている。最初から引き込まれ、最後まで弛緩するところがなかった。見事な作家論であり、文学論だった。
 清水好子1921年生まれ、2004年に84歳で亡くなっている。本書は1973年、清水が52歳のときに発行された。清水は紫式部が一人で源氏を完成させたという立場に立っている。現在は複数の作者を想定している考え方が主流を占めているようだが、清水の仕事が優れたものであることに変わりはない。仮にこれ以外に何の業績がなかったとしても、清水の名が忘れられることはないだろう。


紫式部 (岩波新書)

紫式部 (岩波新書)