橋本治+橋爪大三郎『だめだし日本語論』を読む


 橋本治橋爪大三郎『だめだし日本語論』(太田出版)を読む。これがわくわくするほど面白かった。橋本治は小説の『桃尻娘』シリーズで人気を博した小説家。その後『枕草子』や『源氏物語』などの古典の現代語訳の仕事も定評がある。橋爪大三郎はきわめて有能な社会学者。二人は同年で同時に東大で学んでいる。
 そして本書では橋爪が橋本に教えを乞うような姿勢で進められる。これには驚いた。

橋本  橋爪さんからも『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)について大学で講演をしてほしいとご依頼をいただいたことがあります。時間が合わずそれきりになってしまいましたが、私としては、『これで古典がよくわかる』はあまりにも当たり前の話をしているだけだから、学生相手に講演というのは何を話したらいいのだろうかと悩みました。
橋爪  いや、「当たり前」なんかじゃないですよ。明治以来の国文学の伝統をまるごと相手に、ケンカを売っているような、とてつもない仮説だと思います。しかも、言われてみればそのとおり、というところがなおすごい。国文学者全員に、お前らバカだ! と言っているのに等しい。

 日本語の歴史を『古事記』から始めるのがわかりやすいという。近代以前の天皇制については、あまりにも膨大で、簡単にならない。複雑なまま考えるしかない。

橋本  天皇制のモデル自体は簡単です。平安時代になればはっきりしますが、天皇というのは組織がないと何もできない人なのです。天皇の組織である朝廷は、藤原氏に摂政関白という形で実権を奪われてしまいます。「組織がある」ということが重要になって、そこから「天皇がいないと組織が成立しない」という倒錯が生まれるのです。倒錯だから、天皇にたいした意味はなくて、重要なのは、「組織を動かせる人物」なのです。
 だから、鎌倉幕府ができると朝廷という組織自体が形骸化し、天皇の下の組織がなくなってしまう。そうすると天皇は意味のない飾りになるのですが、飾りとして存在が許されているにもかかわらず、存在しているからには何か意味があるのだろうととらえられるようになって、さらなる意味の倒錯が起きます。

 天皇と組織の関係は、桓武天皇の息子の嵯峨天皇の時代でだいたい終わっているという。それは結局天皇家一族の話にすぎなくて、桓武天皇が編纂を命じた、奈良時代の歴史を語る『続日本紀』を読んでも政策の話は1つしか出てこない。あとは人事の話ばかり。結局『続日本紀』に書かれているのは天皇家ホームドラマだという。

橋本  天皇家のドラマではもともと母親が権力を握っています。大化の改新以後の天皇家のトップにいるのは、のちの天智天皇である中大兄皇子の母親の斉明天皇で、奈良時代天皇は彼女の血筋と言ったほうがいいのです。女帝というトップの女性がいて、自分の息子や甥が手先になって働くしかない家内工業。その前なら豪族がいたけれども、聖徳太子の段階で物部氏が滅び、大化の改新蘇我氏が滅び、官僚制を敷いたのはいいけれど、天皇の下にたいした官僚はいない。つまり天皇自身が賢くなって自分でいろいろするしかないという天皇親政の時代、それが奈良時代のはじめまで続きます。
 そのころおそろしく有能だったのが、天智天皇の娘で、天武天皇の妻だった持統天皇という女性なのですが、そういうことは誰も考えてくれないから、「女性の天皇も母系社会も当たり前でしょ」という話をしても通らないし、なんの共感も得られない。
 はじめはいたって簡単な家族経営だったものが会社になって、持ち株会社になって、トップは実質的にはなにもしなくなった――つまり天皇が飾りになったのだけれど、それが鎌倉時代には終わってしまう。朝廷という組織は幕府という組織に実質を奪われてしまうのだけれど、明治になって幕府自体がなくなって、王政復古というひっくり返りが起こったというだけの話です。パターンで言えばそんなに複雑ではありません。

 言葉の歴史についても橋本の解釈は大胆でおもしろい。清少納言についても紫式部についてもユニークでなるほどと思わせる。橋本治のきわめてすぐれた才能を見落としてしまっていた。
 さて、本書は237ページある。やや厚ぼったい用紙を使って束を出している。しかしそれだけではない。必要以上に図版を入れ、それも1ページずつ取っている。橋本と橋爪の対話の間は1行空けている。みな束を出すためだろう。図版は28ページ分ある。対話の間の行間を外せば20ページ減ってしまう。これだけで200ページを割ることになる。しかも実は版面も通常よりも小さいのだ。編集者が工夫してページを増やしているのだ。
 きわめて面白い対談だった。ただ本書も題名が良くなかったと思う。