東京国立近代美術館の麻生三郎展



 東京国立近代美術館で麻生三郎展が開かれている。2000年4月に87歳で亡くなってから回顧展は初めてだ。そんなにも長く公立美術館で個展が開かれなかったのは、麻生の人気が実力に比例していないからなのだろう。もっともっと評価されるべき画家なのだ。
 針生一郎は麻生三郎を、戦後の美術で最もいい3人の一人だと言っていた。4年前に書いたブログから。

 数年前セゾンアートプログラム主催の講演会で針生先生の講演を聞いた。戦後、新聞や雑誌で松本俊介や鶴岡政男、麻生三郎の絵を取り上げていたら、岡本太郎が何であんな連中を取り上げるのだと言った、岡本は、本当はあんな連中でなく俺のことを取り上げろと言いたかったのだ。しかし、私はこの3人が戦後の美術で最もいいと思っていたから取り上げたのですと話された。

 野見山暁治も「続アトリエ日記」(清流出版)で書いている。「日本橋の画廊で麻生三郎の小品展。敗戦で打ちのめされていたころから慕っている。今も慕いっぱなし」
 銀座7丁目にある小林画廊のオーナーは麻生三郎が好きで、画廊の奥の小部屋を麻生三郎の常設展にしている。そこで見た麻生の作品が松本俊介像ではないかという話は、以前ブログに書いた。
麻生三郎の描く松本俊介像?(2009年10月24日)
 さて、麻生は1913年大正2年生まれ、太平洋美術学校に学んでいる。1938年にフランスへ渡るが大戦前夜の緊迫した情勢から半年ばかりで帰国する。独立美術協会に参加し、美術文化協会に出品する。1945年に出征するが2か月ほどで敗戦となる。
 戦後は自由美術家協会に参加し、1952年から武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)で美術を教え始める。
 今回の個展では1934年の21歳のときの自画像から並んでいる。フランス滞在時代の頃の風景画はユトリロヴラマンクを思わせるものがあり、悪くはないが、戦後になって独自の暗い人物像が描かれる。1950年代の後半頃から人物の形が背景に溶け込んでおぼろになっていく。以後晩年までその方向が深化されていき、それが麻生三郎のスタイルとなる。
 人物は1人だったり2人だったり群像だったりする。立っていたり寝ていたりもする。だが、皆孤独に立ちつくしていて、直接関係し合うことは少ない。にも関わらずヴェトナム戦争に抗議して焼身自殺した僧侶を描いたり、日米安保闘争に関連した死者を描いたりしている。単なる造形を目差しているのではなく、はっきりと社会性が意識されている。
 晩年に立体デッサンと称するブロンズの人物像を作っている。ジャコメッティ縄文時代土偶を合体させたような不思議な形だ。
 デッサンがすばらしく、こんなのがほしいと思って小林画廊の方に伺うと、数十万円はするという。とても買えないが麻生三郎のデッサンだったらそのくらいはするだろう。今回の個展を多くの人に見てもらい、優れた画家であることを知ってくれることを望む。

麻生三郎展;東京国立近代美術館
2010年11月9日(火)〜12月19日(日)
10:00〜17:00(金曜日〜20:00)月曜日休み
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2011年1月5日〜京都国立近代美術館
2011年4月29日〜愛知県美術館