瀧悌三『一期は夢よ 鴨居玲』を読んで

 瀧悌三『一期は夢よ 鴨居玲』(日動出版)を読む。「はじめに」で瀧は書く。日動画廊の社長から鴨居玲を小説に書いてみたらどうかと慫慂された。引き受けたけれど小説にはなりにくい。伝記を書くには調査が不足している。結果は分からないが実像鴨居玲に迫ってみるまでだ、と。
 瀧は鴨居の両親から始めて鴨居玲の生い立ち、小学生時代、中学時代をていねいに調べ上げる。金沢市の本社のあった北国毎日新聞主筆を務めた父親の関係で、石川県に疎開していた宮本三郎の知遇を得て、個人的に弟子入りする。この師弟関係は晩年まで長く続いた。
 戦後設立された金沢美術工芸専門学校へ入学する。在学中に宮本三郎の関係する二紀展に出品して入選している。卒業した鴨居は東京へ出て乃村工芸社に入社する。展示会などを請け負っていた会社だ。1年ほどで退社し母や姉鴨居洋子の住む大阪へ転居する。姉は新聞社に勤めていたが、のちに下着デザイナーとして成功する。関西へ移った鴨居は洋画研究所でデッサンを教えたりしながら、絵を描き続け二紀展に出品したり、友人と東京銀座のサヱグサ画廊で二人展を開催したりした。しかし成功というには遠かった。30歳で1歳年上のファッション・デザイナーと結婚する。彼女は芦屋のお嬢様だった。
 妻がデザインコンテストで特賞を得て、その賞金がパリへの往復の旅費と3カ月くらいの滞在費だった。鴨居は妻とフランスへ行き2年間ほど滞在する。その後友人を頼ってブラジルへ行き、一旦帰国した後再びパリへ行き、ローマにも滞在している。妻とは結婚後2年ほどで別居していたが、パリでは実質的に生涯を共にした富山栄美子と出会っている。
 日本に帰ってから鴨居に運が向いてくる。姉の鴨居洋子が大阪日動画廊で個展を行い、それが完売する。洋子が大阪日動画廊へ鴨居を紹介し、鴨居玲個展が開かれてこれが成功する。ついで東京の日動サロンでも個展が開かれ、美術評論家坂崎乙郎の目に止まる。昭和44年、昭和会展で優秀賞を受賞、すぐ後に安井賞を受賞する。
 安井賞受賞ではちょっとした噂が流れた。審査員の宮本三郎が弟子の鴨居玲を強く推して受賞に至ったのだとか、産経新聞の美術記者日野耕之佑が鴨居玲の作品はメキシコの画家ラファエル・コロネルの盗作だと言っているなど。のちに瀧が日野に確認すると、玲の作品がコロネルに基づいていることは誰でも言っていたという。
 ともあれ安井賞受賞は画家にとってはっきり画壇に認められたことになる。日動画廊の個展でも成功し、華やかに脚光を浴びる後半生になる。その後15年を経て58歳で自殺するが、その間スペイン、パリ、神戸で過ごすことになる。画家として成功したが、栄美子には「死ぬ」というのが口癖だった。
 ここまで瀧はていねいに鴨居玲の生涯をたどる。出生地から始まって生年月日などなかなか本当のことを教えない鴨居について、几帳面ともいえるほどよく調べて書いている。そしてここらあたりから鴨居の画業について語っていく。

 制作はイメージで描く。それも人物が殆どで、その人物は、本質的に自画像である。鏡をアトリエに置き、鏡に映った自分の姿を基に、イメージ像をリアルの方に変容させていく。しかし、イメージを内側に求めるせいで、イメージに新しいものが加わらず、その枠も狭く限定されてしまい、容易には変化していかない。長く続けるうちにパターン化し、類型化し、マンネリズムを呈する。同工異曲が多いのである。

 私は鴨居の作品を図版でしか見てないので、断定的なことは言えないが、それは写実ではない、もちろん抽象ではない、あえて言えば寓意的な象徴主義だろうか。写実や抽象は思想が希薄でも大きな問題は生じない。だが、象徴主義的な傾向であれば、画家の思想は重要な要素となるのではないか。鴨居の作品に深い思想が見えないのだ。どこかありふれた自己憐憫を描いているように見える。ピカソの青の時代と比べたらというのは酷かもしれないが、自画像にみえる人物にどこか演劇的なものが感じられ、深く共感することができないのだ。
 274ページに掲載されている横顔の写真も、ハンサムでよく女性にもてたと誰もが言っていることを裏付けているが、同時にその精神が浅薄であったろうことも想像させるものだ。
 途中、瀧が和田義彦に触れているくだりがあって、興味を引いた。

 玲は、和田義彦のデッサン力を認めていた。無論、玲のデッサン力は評価を得ているが、物を正確に写す技能では、和田の方がまさるくらいであり、玲は、和田のそういう描写力を買っていたのだ。

 和田義彦は数年前、イタリアの画家スギの作品を盗作していたと物議をかもし、芸術選奨文部科学大臣賞を正式に取り消された画家だ。現在、日本の画壇からはほとんど放逐されているのではないか。いまではブータン王国の美術顧問になっているようだが。その和田の受賞にあたっては瀧の強力な推薦があったことは記憶に新しい。こんなに古くからの付き合いで、しかも高く評価していたのだ。
 瀧悌三の鴨居玲伝はよく調べられていて労作と言っていいだろう。鴨居を研究するにあたって基礎資料となるだろう。ただ、読んでいて、鴨居に対する瀧の熱情というものは感じられなかった。そのことは大きな問題では決してないが、どこか優等生の冷静な論文を読んでいるような印象を受けたのも事実だった。


一期は夢よ 鴨居玲

一期は夢よ 鴨居玲