銀座の奥野ビルにあるギャラリー巷房での作間敏宏展「接着/交換」

 銀座1丁目の、戦前に作られた古い奥野ビルにあるギャラリー巷房で作間敏宏展「接着/交換」が開かれている(1月16日まで)。巷房は3階と地下に3つのスペースがあり、そのすべてを使って作間敏宏展が企画されている。
 まず3階「巷房・1」では狭い画廊の空間一杯に木のパネルで作られた卓というか台が設置され、その上に数百枚のおびただしい写真が積み重ねられている。写真は小さな額に入れられ、表面を蜜蝋で覆われているという。それらの写真はモノクロでぼやけた人物が写っているようだが判然としない。

 地下の「巷房・2」では映像作品が上映されている。横長のモノクロ画面では、遠くからぼんやりした何人もの人物が近づいてきてまた消えていく。いや、淡い光の塊が徐々に人の形に変わっていく。ぼんやりした人物像が現れる。それが次々としかしゆっくり経過する。同じ映像は二度となく、繰り返される単純な映像が不思議に見飽きない。これは何だろう。

 この時、私たちはゲーテの『ファウスト』(集英社文庫)の冒頭を思い出す(池内紀訳)。

 さまざまな姿が揺れながらもどってくる。かつて若いころ、おぼつかない眼に映った者たちだ。このたびは、しっかりと捕らえてみたい。いまもなぜか、あのころの夢に惹かれてならない。さまざまな姿がひしめき合ってやってくる! 霧と靄(もや)をついて迫ってくる。その不思議な息吹にあおられて、この胸もすっかり若やいだ。


 楽しかったころのことがよみがえってくる。やさしい影が立ちあらわれ、半ば消えた古い物語のように、初恋や友情がもどってくる。せつなさ、往き迷った人生の嘆き。つかのまの幸せにあざむかれ、花の盛りにどこかに消えていった人々を呼びもどしたい。

 これは記憶を実体化したものに似ている。記憶=過去はこのように戻ってくるのではなかったか。淡くおぼろに、どこまでも不鮮明に、だがしかし確固として。
 同じ地下にあるスペース「巷房・階段下」には別の展示がされている。2面の壁に貼られたあいまいな多くの人物のモノクロ写真。その真ん中の空間に5ワットほどの暗い電球が束ねられて吊り下がっている。作間の過去の個展を見ていれば、この電球が生命の象徴だということが分かるだろう。
 作間はいつも人間の存在、人間の生命、集団のなかにある人間ということを考え、作品に表している。
 10年以上前、美術評論家建畠晢があるシンポジウムで「日本のインスタレーションは皆お花畑だ」と言い切ったことがあった。そのことにほとんど誰も異議を申し立てることはできないだろう。しかし、その数少ない例外が作間敏宏のみごとなインスタレーション作品なのだ。


作間敏宏展
2010年1月4日(月)〜1月16日(土)
12:00ー19:00(日曜休廊、最終日ー17:00まで)
(ギャラリー)巷房
中央区銀座1-9-8奥野ビル
電話03-3567-8727
http://www.spinn-aker.co.jp/kobo.htm

作間敏宏のHP 
http://www.ne.jp/asahi/moon.web/sakuma/