思い出す人々:衛生害虫を研究していたY先生

 Y先生は厚生省の予防衛生研究所でハエの薬剤抵抗性を研究していた。ソ連時代に公費で出張したとき、通訳をしてくれたモスクワ大学日本語科の女子学生が、私のこと喜ばせてください、楽しませてくださいと言うので、それじゃあ×××をしようと言うと隠語のせいか通じなかった。別の言葉で言い換えたがこれも通じなかった。それでジェスチャーで伝えたんだ、こうしてと腰を振ってみせた。彼女が、オー! あなた悪い人と言ったよ。彼女は本当は、ぼくがたくさん日本語を使って勉強させてほしいと言いたかったんだ。Y先生、国辱ものではありませんかとは言えなかった。
 小柄な方だったがハンサムで、なかなかもてた。20年ほど前NHKの人気ニュースキャスターだった女性とも付き合っていたらしい。
 けっこう筆が立つ人で著書がたくさんある。印税を自宅に送ると叱られた。勤務先へ送らなければいけない。奥さんに知られたくないのだろう。逆に職場へ送ると叱られる人もいた。アルバイトをしているように見られるのだろうか。そう言えば私も初めて原稿料1万円が職場へ送られてきた時、同僚の手前少しだけ困った。