小嵐九八郎のレジュメによる新左翼の歴史

 大江健三郎「河馬に噛まれる」(講談社文庫)を読んでいる。20年ほど前に単行本で出たときにも読んだが、今の住まいに引っ越したとき、蔵書はあらかた手放していたので、今回また購入して読んでいる。末尾の文章を読むと、1985年の文藝春秋社版を文春文庫にし、そこから2編削除して全体を6編に改編し、細部を書き直したとある。削除されたのは「『浅間山荘』のトリックスター」と「サンタクルスの『広島週間』」だ。
 この連作短篇集のテーマは浅間山荘事件で、連合赤軍(ここでは左派赤軍)のメンバーでありながらリンチにも遭わずそれに大きく加担もしなくて生き延びた当時最年少だった少年と、リンチで殺された女性の妹が主要な登場人物に選ばれている。あまりにも悲惨で救いがないこの事件を大江は優れた小説に仕上げている。
 この講談社文庫では小嵐九八郎が解説を書いている。小嵐は直木賞候補に何度もなった作家だが、内ゲバを繰り返していた頃の社青同解放派の活動家だった。小嵐九八郎「蜂起には至らず―新左翼死人列伝 」(講談社文庫)という本が出ている。まさに内ゲバに明け暮れ殺し合った活動家たち27人の伝記だ。講談社のPR誌「本」に連載されていた時に拾い読みをしていた。読むのが辛い内容だった。その小嵐が大江のこの本の解説で新左翼史をごく簡単にスケッチしている。

 この小説は、1972年の連合赤軍(小説上では左派赤軍)の浅間山荘への籠城と機動隊との銃撃戦、そしてことの前に進行していたが発覚はことの後、14人の屍(連合赤軍結成以前を含む)が内部によって積み重ねられていたと分かる件を土台にして、ほぼ10年後の進行の形をしている。
 若い人のために言えば、この連合赤軍の母胎は共産主義者同盟(ブント)にある。新左翼と呼ばれる共産主義者同盟は、社会主義へは民族民主主義革命を経ての二段階革命路線の日本共産党の胎内から、1958年にすぐに革命という一段階戦略を持つものとして結成され、全学連の主流派となり60年安保を闘い抜いた。が、東大の女子学生をピークで失ない、下降局面で四分五裂となり実体がなくなり、再建は1966年の三派(中核派社青同解放派共産主義者同盟全学連結成の頃、その三派全学連は党派と無縁のノンセクト・ラジカルを生みながら全共闘運動を推進するけれど、1968年の新宿での騒乱罪適用の闘いや翌年の東大の安田講堂を巡る決戦で負け、あとは銃火器による武装へかというところに追いこまれた。できたのが、共産主義者同盟赤軍派であり、新左翼とは呼べない毛沢東主義者と合同し連合赤軍を作った。されど、10日間の浅間山荘の銃撃戦の前に、猜疑心に駆られて仲間をスパイと断定したり、根性がなっていないとか、オシャレは敵とか難癖をあれこれつけ、ほぼ森恒夫(小説上ではM・T、拘置所自死)と永田洋子(小説上ではN・Y)の二人の指導者によって内部粛清がされてゆく。新左翼の人々、支持者は浅間山荘のドンパチで舞い上がり、一人一人の屍の発掘で元気を失ない、地べたを這う。この件は、共産主義者同盟ばかりか他の新左翼が道義と信頼を失ない続けてゆく決定的なターニング・ポイントであった。以後は、革マル中核派社青同解放派の連合軍の通称内ゲバがもっぱらとなる。