マネの「オランピア」を見て




 最初に描かれたのがジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」(上)だ。次いで描かれたティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(中)が現在東京国立西洋美術館で展示されている。それに影響を受けて描かれたのがマネのこれまた有名な裸婦像「オランピア」(下)だ。この「オランピア」を解説して高山宏がこう書いているのを読んでぶっとんだ。

横にいる黒人召使いの手にしたこちら向きの花束がオランピアの女性器を示すと同時に、どうやら見る人間の目の形でもあるらしい大層リフレクシヴな機知あふれる名作。挑発的風俗画というより、認識の具としての目を問題視する、もはや歴たるマニエリスムの傑作ではないか。(「UP」2008年4月号)

 現在の図像学はそこまで考えるのかと驚いたのだが、去る5日に東京国際フォーラムで見た「アートフェア東京2008」に出品されていた浮世絵の歌麿春画にはクンニリングスが描かれていてこれまた驚いた。そんな技術は戦後欧米から導入されたものとばかり思っていた。江戸時代どころか戦前にだってなかったろうと決めつけていたのだが。
 どうやら世の中は私が考えているよりはるかに性的であるらしい。下島君からおまえすけべだなあと何度も言われたけれど、世間から見ればどうしてわれわれなんざまるでうぶみたいだぜ。
 現在東京駅の山手線内回りのホームに巨大なウルビーノのヴィーナスのポスターが貼られている。こんなエロティックな絵を公衆の面前にさらしていいものかと私は独り悩んでいる。