「雪国」の面白さが分からなかった

 リービ英雄がほめていたので川端康成の「雪国」を読み直した。以前読んだときは高校生の頃だったろう。それから20歳頃までに川端の作品はあらかた読んでしまった。気に入っていたのだろう。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
(中略)
 もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女に引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。(後略)

 当時のウブな高校生にはこの辺のことはさっぱり分からなかったに違いない。しかしずいぶん大胆な表現だ。ちょっとストレートに過ぎるのではないかと思ってしまう。
 今回読み直してみて、川端の面白さがちっとも分からなかった。昔は何が面白くてあんなに読んだのだろう。「山の音」「千羽鶴」「みずうみ」「眠れる美女」「古都」「片腕」・・・みな印象が薄い。でもとにかく当時は好きな作家だった。もっとも上記のようなものをたくさん読み落としていただろうが。
 やはりあの頃好きだった吉行淳之介も最近読み直すとちょっとがっかりしてしまうのだ。