信濃毎日新聞に紹介された山本弘

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 長野県安曇野市にギャルリー留歩(るぽ)という画廊がある。いまここで「栗原一郎展 おんなを描く」が開かれている(7月31日まで)。その一隅に山本弘『湘(しょう)』が特別展示されている。油彩3号(27.3×22.0cm)、1974年制作。湘は山本弘の一人娘、このとき3歳になった。
 まだギャルリー留歩には行ったことがないが、今回のことは信濃毎日新聞の記事(6月26日付)で知った。そこには次のように紹介されている。

 つぶらな瞳のあどけない幼女像。純粋な笑顔に心が洗われるようだ。1981(昭和56)年に飯田市で、破天荒な生涯を自ら絶った洋画家、山本弘の「湘」。まな娘を描いた作品である。

(中略)
 「湘」はまな娘の名前。狂気と正気が交錯した、激しい画面とは異なり穏やかだ。一時、心安らかな日に筆を走らせた即興的な作品だが、幼い娘への限りなく切ない思いが伝わってくる。(後略)

一度ギャルリー留歩へ伺ってみたい。
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ギャルリー留歩
長野県安曇野市穂高有明7403-8鈴玲ヶ丘学者村
電話0263-83-6785
会期中無休(毎月1、2日不定休)

 

はみだしYouとPia

 「はみだしYouとPia」というツイッターを書いている人がいる。昔発行されていた『Weeklyぴあ』にその名前のコラムがあった。その中から面白いと思ったものを選んで載せているらしい。私もそこに投書していたことがあるので見てみた。この雑誌は創刊半年後から終刊するまで読んでいたので、ほとんどこのコラムは読んでいたと思う。
 さすがに30~40年経っているので皆忘れていたが、いくつかは読んだ記憶があった。それを拾ってみる。

チェルノブイリ原発事故がTVで報道された翌日の東横線内での女子校生の会話。A「ねえねえ、ソ連に原爆が落ちたんだって」 B「うっそー」 A「だってTVで大騒ぎしてたよ」 B「じゃあ学校休みになるかもね」 ふたりそろって、AB「ラッキー!」<バタリアン柴田>1986.6


この間道を歩いていたら、「おまえの父さん、母さんの胸もむ?」と無邪気な顔をして友人に聞いている小学生がいた。<のったー!>1979.12


東洋大学民族研究会の春合宿での丸田と話者の会話。「ここには便所神ってありますか」「あああるよ」「よろしかったら見せてほしいのですが」「便所にあるから見たけりゃ見なせぇ」そうして、期待に胸弾ませて便所の戸をあけた丸田の目の前にはうず高く積まれたチリ紙があった。<アザラシ>81.7


父「お前も将来、トルコに行くことがあるだろ?」僕「オオッ!?」父「これ、やるよ」…期待と動揺の中、僕が手にしたものは“遠くて近い国トルコ”という題の新書本だった。<空き家の良晃>1984.7


私の恋人のひろゆき君は、竿竹売りの「さお~や~さおだけ~」という声を聞くと必ず「あ、たまのない人が来た」と言います。<セントポーリア咲いた>1980.8


 その中に私の投稿もあった。

“TOTO”と“INAX”へ──水洗トイレの水量表示は「大」「小」から「多」「少」へ変えることを提案したい。大小が便種を表わすのに対し、多少は水量を表わすのだから。<五月のあほうどり>1988.10

 それから私の投稿をパクったようなものもあった。

突然ですが、「曽」という字と仮面ライダーの顔はよく似てると思います。<よっちゃん>1986.9

 私の投稿は次のもの。

知人が私の姓の一字“曽”を「仮面ライダーみたい」と言ってから、それ以外に見えなくなった。

 これに対して選者だった春風亭昇太師匠が、当時NHKで軍事評論をしていた江端謙介のことを「履」みたいだとコメントしてくれた。禿隠しに伸ばした髪を反対側に持ってきていた髪型がまさにその字のようだった。さすが師匠。
 私のことを「曽」と言ったのはみゆき画廊のスタッフだった。この投稿は「金昇」をもらい、賞品にぴあ特製テレフォンカードをもらった。テレカはそう命名した彼女に進呈した。

中央線の車内で突然バッグの中身を出して小脇に抱え、からになったバッグに顔を突っ込んで吐いていたおじさん、あなたの責任感の強さは並大抵のものではない。<THEO>1980.8

 というのもあったが、奇しくも私のクライアントの担当者も同じことをしたと言っていた。彼は中央線でなく東海道線だったから別人だろう。

 

・はみだしYouとPiaのページ
https://twitter.com/piahamidasi?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

・私の掲載された投稿をまとめたページ
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20071005/1191533929

 

ツルティム・ケサン、正木晃『増補 チベット密教』を読む

 ツルティム・ケサン、正木晃『増補 チベット密教』(ちくま学芸文庫)を読む。本書裏表紙の惹句から、

インド仏教の本流を汲むチベット密教は、解脱への手段として、長らくタブー視されていた「性」まで取り込んだため、興味本位による憶測と恣意的な解釈が先行し、正確な教義や修行法が一般に伝えられることは不幸にして少なかった。しかし、その教えは今日、世界各地の新宗教現代思想にまで多大な影響を与えている。本書では、その長い歴史と個性的な指導者たちの活動を紹介。さらに、正統派のゲルク派ほか諸流の教義や性的ヨーガを含む具体的な実践=修行法も解説し、チベット密教の本質とその奥にある叡智を明快に解き明かす。マンダラについての書下しを増補した決定版。

 チベット密教に対する私の知識がなく、それに対して本書は易しいけれど体系的に書かれていて、チベット密教を網羅している印象がある。それで内容を私が要約する自信がなく、本書の紹介を全文掲げた。
 全体が2部構成になっていて、第1部が「歴史篇」でチベット密教とはなにか、チベット密教の歴史、そして最も偉大で後世への影響力が大きかったゲルク派のツォンカパの生涯が紹介される。ツォンカパは顕教を学び、後期密教である『秘密集会タントラ』の本質を確定したとある。顕教密教を統合した。
 第2部が「修行篇」で、ゲルク派密教修行、秘密集会聖者流、カギュー派・サキャ派ニンマ派の修行法が語られる。『秘密集会タントラ』は冒頭に、「ブッダは、あらゆる如来たちにとって身体・言葉・精神の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた=女性たちと性的ヨーガをしておられた」と書かれている。『秘密集会タントラ』とは、「あらゆる秘密の真理が集められた密教経典」のことで、日本密教で最重要の経典とされる『金剛頂教』の発展形態であり、『金剛頂教』がすでにはらみながら、時が熟さず、語ろうとして語りえなかったことがらが、ブッダ成道に想を得た物語に仮託されて展開していく。
 密教のイニシエーションが灌頂(かんじょう)で、導師が弟子の頭頂に水を注いで聖別する行為だ。チベット密教の灌頂には4つがあるが、このうち秘密灌頂と般若智灌頂は性行為が必須の儀礼となっている。この秘密灌頂が驚くべきものだ。

 秘密灌頂では、弟子が導師に「大印=マハームドラー」と称される妙齢の女性(16歳の美しい処女と特定される場合が多い)を性的パートナーとして捧げ、導師は彼女と性的ヨーガを実践する。導師はおのれが射精した精液と女性の愛液との混合物を、女性の膣内から取り出し、弟子の口中に「菩提心」として投入する。これで弟子には菩提心が植えつけられたことになる。

 般若智灌頂では弟子が女性と性的ヨーガを実践するが、この時、弟子は射精を堅く戒められる。その後ゲルク派では、現実に性的ヨーガを実践するのではなく、瞑想の中の行為として性的ヨーガを営むべきだとされる。
 これらに続いて複雑な密教修行の具体的な方法が記される。
 補遺に置かれた「チベット密教のマンダラ世界」の章が興味深い。インドにはもうほとんど存在しないマンダラが、チベットには数多く残されていて、日本のマンダラは、その種類の多さや数の点において、チベットに遠く及ばないとある。なるほど白黒の図版で紹介されるチベットのマンダラは、壮麗で見事なもののようだ。著者の正木が10回にわたって訪れ調査したというペンコルチューデ仏塔は9階まであり、基底部が50m四方、高さは42m、龕室(がんしつ)の数75、描かれたり立体化された仏画や彫像、そしてマンダラの総数は約2万にのぼるという。その詳細は国立民族学博物館から『チベット仏教図像研究―ペンコルチューデ仏塔』として発刊されている。
 巻末に「より深くチベット密教を知るための読書案内」が付されているが、これが詳しい。入門書として、松長有慶『密教』(岩波新書)と瀬富本宏『密教―悟りとほとけへの通』(講談社現代新書)が挙げられている。これは読んでみたい。また解説の上田紀行ダライ・ラマ14世の対談『目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話』(NHKブックス)もおもしろそうだ。

 

チベット密教 (ちくま学芸文庫)

チベット密教 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

トキ・アートスペースの四塚祐子展を見る

 東京渋谷区外苑前のトキ・アートスペースで四塚祐子展が開かれている(6月28日まで)。四塚は1970年京都生まれ、1990年に成安女子短大(現成安造形大学日本画専攻を卒業し、その後フランスへ行って、2000年にヴェルサイユ美術学校を卒業している。2001年に京都の画廊で初個展、以来主に関西の画廊で個展を開いてきて、東京では今回が初個展となる。
 四塚はモノタイプを作っている。今回もほとんどがモノタイプだったが、1点だけドローイングの作品を展示している(それは撮影に失敗してここに並べられない)。

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 縦のストライプが描かれた向こうに何かの形が見える作品と、全体に暗く地平線のような下半分がさらに暗い作品が展示されている。いずれも抽象的な作品だが、どちらも天と地が感じられる。だから風景が元になっていると言ったらそれは短絡だが、純粋な造形というより地上の存在から展開させていると言ってみたい気がする。
 画廊のHPに掲載されている四塚のコンセプトを引いてみる。

今、世界中で同時に様々なことが変わろうとしています。
前の日常に戻れるかもしれませんし、もう戻れないかもしれません。
たくさんの人が亡くなっているという映像、そんなことを無視した各国の思惑、
人間が少なくなった地でのびのびと動きだす動物たち 青くなった空。
ある日、テレビでイタリアの老人が友達に会うことが楽しみだと、友とハグできないなら、
コロナにかかったほうがましだと言っていました。そんなに大事に人を思えるなんて、
美しいと思いました。

 せっかくの東京での初個展がコロナ禍と重なってしまって、それが残念だ。
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四塚祐子展「今、ここで」
2020年6月22日(月)―6月28日(日)
12:00-19:00(最終日17:00まで)水曜休廊
     ・
トキ・アートスペース
東京都渋谷区神宮前3-42-5
電話03-3479-0332
http://tokiart.life.coocan.jp/

 

『定本 黒田三郎詩集』を読む

 『定本 黒田三郎詩集』(昭森社)を読む。600ページ余の厚い本に200篇ほどの詩が収録されている。黒田三郎は好きで読んできたが、こんなまとまったものを読むのは初めてだ。
 まとめて読んで、やはり良いのは『ひとりの女に』として出版された詩集だ。奥さんとの恋愛を詠んでいる。

 

そこにひとつの席が


そこにひとつの席がある
僕の左側に
「お坐り」
いつでもそう言えるように
僕の左側に
いつも空いたままで
ひとつの席がある


恋人よ
霧の夜にたった一度だけ
あなたがそこに坐ったことがある
あなたには父があり母があった
あなたにはあなたの属する教会があった
坐ったばかりのあなたを
この世の掟が何と無造作に引立てて行ったことか


あなたはこの世で心やさしい娘であり
つつましい信徒でなければならなかった
恋人よ
どんなに多くの者であなたはなければならなかったろう
そのあなたが一夜
掟の網を小鳥のようにくぐり抜けて
僕の左側に坐りに来たのだった
(後略)


 でも一番好きなのは『小さなユリと』という詩集だ。妻が入院していて詩人は小さな娘ユリと二人で暮らしている。


九月の風


ユリはかかさずピアノに行っている?
夜は八時半にちゃんとねてる?
ねる前歯はみがいてるの?
日曜の午後の病院の面会室で
僕の顔を見るなり
それが妻のあいさつだ


僕は家政婦ではありませんよ
心の中でそう言って
僕はさり気なく
黙っている
うん うんとあごで答える
さびしくなる


言葉にならないものがつかえつかえのどを下ってゆく
お次はユリの番だ
オトーチャマいつもお酒飲む?
沢山飲む? ウン 飲むけど
小さなユリがちらりと僕の顔を見る
少しよ


夕暮れの芝生の道を
小さなユリの手をひいて
ふりかえりながら
僕は帰る
妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ
九月の風が僕と小さなユリの背中にふく


悔恨のようなものが僕の心をくじく
人家にははや電灯がともり
魚を焼く匂いや揚物の匂いが路地に流れる
小さな小さなユリに
僕は大きな声で話しかける
新宿で御飯たべて帰ろうね ユリ


 このユリさん、元気ならもうすぐ69歳になるはずだ。黒田三郎は40年前に61歳で亡くなっている。鮎川信夫田村隆一らと『荒地』グループを作っていたが、黒田だけ異質な作風だった。