5月のあほうどり

 雑誌「Weeklyぴあ」の「はみだしYOUとPIA」に長年投稿していた。掲載総数が160点くらいだった。採用率が約40%だったので、投稿数は400点だったのだろう。多い年は年間に36点採用された。週刊誌だから年に50冊発行される。掲載率は70%だ。ペンネームは「5月のあほうどり」。これは寺山修司の短歌「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」から採った。かもめ(浅川マキ)ほどは格好良くないからあほうどり、厳しくないから5月だ。その中から選りすぐりを31点。


*甲子園で選手たちがグラウンドの土を袋に入れているのを見た娘が、「あれは何をしているの?」と聞くので、「負けた選手が持って帰るのだ」と言うと、「罰ゲーム?」
*「父さんの会社に、桃を皮ごと食べる人がいるんだって?」「いるよ。Y子ちゃんだけど、その旦那のO野ちゃんはデラウェアを房ごと食べてるよ」
*「父さんってコオロギ食べるよね」。………違う、食べるのはイナゴ。でも佃煮にすると確かに似ている。
*娘とSMについて話した。「一度しばってみてあげようか」「母とやりな。その方が健全じゃん」
*社宅に引っ越した友人の寝室は道路に面していた。友人「深夜まで通行人なんかの話し声が聞こえるんだよ」私「……筆談すれば。あ、そこいい。とか」友人「おまえ、いつもしゃべりながらするの?」
*携帯でオヤジが必死に話していた……「あんたが一生懸命やるっていうから、俺は家を抵当に入れて、それで俺は家を取られちゃったんだよ」
*社長、電話では名乗ってください。娘には電話がかかって来てもこちらからは名乗るなと言ってあるので、気まずい沈黙が生まれるではありませんか。
*娘が友達に言われたという。「おまえのオヤジって好きそうなのに、何で子供が一人なの」……そういう問題ではないの。
*M子ちゃん……「今度私たちのヨガ教室の練習してるとこ、撮りに来て」って、それ相当大胆な発言ですよ。
*トラウマ。あたしが小さいころ、うがいをするとき目をつぶってしてたら、父が上からあたしの口の中に唾を落としたこと。
近畿日本ツーリストのことをキンツリと呼んでいたら、Y子から「あれはキンツーですよ。キンツリでは痛そうじゃないですか」と言われた。え、どこが痛いの。言えませんよ、そんなこと。
*子供の頃の夏、タバコ屋の太ったおばさんは「暑い暑い」と言って上半身裸でうちわを使っていた。友だちのお父さんは畑仕事の後、川で身体を洗っていて近所のおばさんに「ご立派なお道具だこと」とほめられていた。昔の村の生活は純朴だった。
*K林さんに双子が生まれた。「どうしたら双子が生まれるの?」「うーん、続けて2回したせいかなあ」
*奥歯が10本も抜けてしまったとK藤さんが嘆いていた。「昔は食事の前に歯を磨くように言われたからそうしたのに」とK藤さん。でもそれって○ンコする前に拭くようなものじゃないんですか。
*猫の短距離競走があったら「用意」と言った途端、みんないっせいにお尻を振り始めるのだろうな。
*通勤電車の中でOLふたりが話していた。「お母さんに日記見られたかもしれない、どうしよう」「あの2文字書いた?」「書いてない」「じゃあ、大丈夫よ」あの2文字って何だ、気になる。
*お客さんを接待することになったが、その人の好みは魚料理と巨乳。娘いわく「魚と巨乳の店にすればいいじゃん」。そんな店はないよ‥‥アンナ・○ラーズは巨乳とケーキの店だし。
*「小6の時修学旅行でひとりだけ生えていて恥ずかしかった。それで中3の時は剃って行ったら、ひとりだけ生えていなくて恥ずかしかった」とはAさんでした。
*娘「私、父さんの秘密何でも知ってるよ」‥‥こ、恐くて聞けない。
*治療を受けた皮膚科の先生はおじいさんで耳が遠かったので、恥ずかしい症状を大きな声で説明させられた。
北野武が「座頭市」でベネチア映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞した。「父さんが猫の耳や眼や手を押さえて、耳なし芳一座頭市野口英世って言っていた、座頭市の意味がやっと分かったよ」
*昔の人は、書家でもないのに見事な筆文字を書いていた。将来は「昔の人はパソコンでなくペンで字を書いていたんだよ」と言われるんだろうか。
*娘「忠臣蔵新撰組って違うの?」父「あのなぁ、150年の差があるんだよ」そんなことも知らないで。
*「解禁前にボージョレ・ヌーボー売ってるよ、この店」「その品、去年のです」
*万歩計をつけたI東君、「往復の通勤だけで七千歩だよ」と。すかさずT宮さんが「小刻みに歩いているんじゃない?」
*近ごろ、猫に対して娘の名を、娘に対して猫の名を呼んでしまいます。おそらく両者に対する私の姿勢が共通なのでしょう。以前は娘に対して弟の名を呼んでいたし。
*いつもマイ・マヨネーズを持っていて、寿司屋で使った知人に板前が切れた。
*僕が足ですることを、I東君は手でする。ペットボトルのつぶしかただけれど。
*I田君は小学校入学前からお父さんと晩酌をしていたためか、8歳で盲腸の手術を受けた時麻酔が効かなくて、看護婦さんたちに押さえつけられて手術されたと言う。痛くて痛くて、今でも時々思い出すそうです。
*娘に、継体天皇の時代にと話したら、ケータイ天皇って何それ? と質問が返ってきた。なんかケータイの一種と思ったらしい。
富山県が四国の相似形として作られたという事実はあまり知られていない。