カミュ『異邦人』を読む

 カミュ『異邦人』(新潮文庫)を読む。『異邦人』は50年以上前、繰り返し読んだ本だ。おそらく10回は読んだのではないか。自分の中では詩集を除けば最も繰り返し読んだ本だ。次いで読んだのがル・クレジオの『調書』だった。『調書』は18歳の時から数年間は毎年読み返してしていた。

 今回久しぶりに読んで、なぜ昔気に入って何度も読み返したのか分からなかった。当時日本でも評価は高く、フランスでも極めて高く評価されていた。『異邦人』は確たる動機もなく殺人を犯した青年の物語だ。合理的な理由がなく殺人を犯したことを不条理と呼んだ。戦後のフランスで不条理という概念はある意味普遍的でのいくものだったのではないか。

 私がはまったのは、これが小説らしい小説だったからかもしれない。当時私がよく読んでいたのはフランスのヌーヴォー・ロマンとかアンチ・ロマンという小説だった。ロブ=グリエナタリー・サロートミシェル・ビュトールクロード・シモンなどなど。ストーリーを排し、実験的な作風がほとんどで、読んでいて楽しいものではなかった。だがヌーヴォー・ロマンの作家たちは伝統的な作家たちを激しく否定し、新しい小説はわれわれのようでなくてはならないと主張した。

 そのような小説を読んでいると、『異邦人』は古い伝統的な作品ではなく、実験的でもなく、安心して読める作品だったのかもしれない。だが、もう本書を繰り返して読もうとは思わないだろう。

 中年以降、2度以上読み返したのは、司馬遼太郎『街道を行く』全34巻、ル・カレのスマイリー3部作(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』)、スタニスワフ・レムソラリス』、グレアム・グリーン『情事の終り』、佐多稲子『夏の栞』、吉行淳之介大江健三郎あたりだった。