慎改康之『ミシェル・フーコー』を読む

 慎改康之ミシェル・フーコー』(岩波新書)を読む。フーコーは現代フランスの哲学者、難解な哲学で知られている(1984年に亡くなっているが)。主著は『言葉と物』、『知の考古学』、『監獄の誕生』、『性の歴史(1~4巻)』など。私も『言葉と物』や『マネの絵画』を持っているが、まだ読んでない。その難解さに手に取るのを躊躇しているのだ。本書でフーコーについて概略が得られればと読んでみた。

 結論から言うと優れたフーコー入門書だった。フーコーの主な著書の発行順に沿って解説をしている。難解なフーコーの思想を分かりやすく紹介してくれる。かと言って私がそれをさらに要約して紹介するのは荷が重い。それで「終章 主体と真理」から引用する。

 

 狂気が全面的に精神の病として定義されるようになったのは、主に監禁制度の創設およびその解体といった社会的出来事との関連においてであるということ。病理解剖学に依拠する実証的な医学が成立したのは、可視性の形態および死の概念が変化したからであるということ。「人間とは何か」という問いに比類のない特権が与えられるようになったのは、西洋の認識論的布置が根本的に変容したためであるということ。身体刑から監獄へという刑罰制度の変容は、権力形態の根本的変化によってもたらされたものであるということ。性についてかくも多くのことが語られてきたのは、人々の生に介入することを目指す権力にとって、性が特権的な標的を構成しているからであるということ。自分の欲望のうちに自分自身の真理を読み解こうという企ては、初期キリスト教の教父たちの言説に生じた変化のなかにその端緒を見いだすことができるといこと。こうしたことを明らかにしつつ、フーコーの歴史研究は、我々の現在を差異として浮かび上がらせるとともに、思考を新たに再開するための手がかりを我々に差し出すのである。

 次に、フーコーの研究にたびたび生じる変化というもう一つの側面について。

 1960年代の彼の「考古学的」探求の全体は、50年代に彼が帰属していた人間学的思考の地平から身を引き離すためのプロセスとして特徴づけられる。次いで70年代には、知の軸から権力の軸への移行、さらには、権力のネガティブな側面からポジティブな側面への視点の移動が生じる。そして80年代には、自分自身からの離脱へと誘うものとしての「好奇心」に導かれて、自己の技術という新たな軸のもとで古代社会への遡行が行なわれる。現在を別のやり方で考える術を我々に提供してくれるものとしてのフーコーの哲学的歴史研究は、こように、次々に異なる形をとって展開されるそのやり方においてもまた、自分自身から絶えず身を引き離そうとするもの、自分自身を不断に変化させようとするものとして現れるのである。

 そして、フーコーの研究活動を特徴づける以上二つの側面に焦点を定めた考察を進めるなかで、浮かび上がってきたものがある。やはり彼の研究全体を貫くものとして見いだすことのできるもう一つの特徴、もう一つの側面とはすなわち、主体と真理との関係の問題化である。

 とくに晩年の対談のなかで、フーコーは、主体こそが常に自分の大きな関心事であった、とたびたび口にしている。実際、主体と真理との関係の問題化は、彼において常に、自己からの絶えざる離脱を導くものとして、そしてそれと同時に、そうした離脱によって絶えず刷新されるものとして現れる。

 まず、60年代において、フーコーがかつての自分自身からの脱出を企てる際、告発されるのはまさしく主体と真理との特定の結びつきを想定するものとしての人間学的思考である。次に、70年代に開始される権力分析においては、主体と真理とのそうした人間学的な軛が、権力による「従属化」の作用としてとらえ直されるとともに、その軛から逃れようとする企てが権力に対する抵抗として価値づけられることになる。そして最後に、80年代には、主体と真理との関係をめぐる問題を新たなやり方で問い直すためにこそ、時代を大きく遡り、古代世界における自己の実践が探査されることになるのである。

 1980年にニューヨークで行われた講演のなかで、フーコーは次のように語っている。第2次大戦前から戦後にかけて、ヨーロッパの哲学は、主体をあらゆる知の基礎とみなそうとするものとしての主体の哲学によって支配されていた。そうした支配から脱するためにこそ、自分は、近代的主体についての系譜学的研究を進めてきたのだ、と。自明性を問い直し、自分自身から身を引き離そうとするものとしてのフーコーの哲学的活動は、何よりもまず、「主体の学」からの離脱の企てとして開始されたのであるということ。そしてその問題化、その企てが、知、権力、自己との関係という3つの軸のそれぞれにおいてそのかたちを変えながら、彼の研究活動全体を絶えず導いているのである。