東大教師が新入生にすすめない本

 東大出版会のPR誌『UP』の4月号は毎年「東大教師が新入生にすすめる本」というアンケートの結果を紹介している。今年のみI部を東大教師によるアンケート、II部はUP誌に執筆している方によるアンケートとなっている。アンケートの質問は、

1.私の読書から――印象に残っている本
2.これだけは読んでおこう――研究者の立場から
3.私がすすめる東京大学出版会の本
4.私の著書

 これが毎年ずいぶん参考になるのだが、今年はII部の佐藤康宏(日本美術史)のアンケート結果を簡単に紹介する。

佐藤康宏(人文社会系研究科・文学部教授/日本美術史)
1.『完全版 1★9★3★7』 上・下、辺見庸(角川文庫、2016)
 山下清の貼絵「観兵式」(1937年)をカヴァーにあしらった上下2冊は、盧溝橋事件から80年目の年に読むのがふさわしい。日本軍は、南京大虐殺以外にも中国各地で非戦闘員に対する殺人と強姦を繰り返した。少尉としてその地にいた父は、それに加わったのか。生前には問えなかった疑問を抱え、著者は戦争体験に基づく小説や回想、当時の唱歌など、多くの言葉を集積し、犯罪行為の細部と動機を暴く。特高警察に拷問され殺された小林多喜二の死体の描写のように、細部は確実に読者の生理的嫌悪と憤りを呼ぶ。しかし、動機はというと、天皇裕仁の戦後のインタヴューがそうであるように、驚くほどあっけらかんとしているのだ。無邪気に殺し、犯し、拷問し、反省はしない日本人――この無責任で没主体の社会に生きる自分は、はたして当時体制に抗うことができたろうか。著者の自問を、現在と未来に時制を移して、私たち自身も引き受けなければならない。
2.『西洋美術の歴史4 ルネサンスI 百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』 小佐野重利・京谷啓徳・水野千依(中央公論新社、2016)
……解説略……
3.『講座日本美術史』全6巻、佐藤ほか編(2005)
……解説略……
4.『湯女図――視線のドラマ』(ちくま学芸文庫
「絵は語る」シリーズのトップバッターとして1993年に刊行された旧版を若干増補改訂したもの。江戸時代初期、風呂屋で客の垢をかき、体を売りもした湯女(ゆな)たちを描く一幅の絵を、あらゆる手段を用いて解読しようとする。その旧版のための宣伝文を巻頭に置いて書名とし、それ以後に展開した論文や批評・翻訳など30篇を収めた『絵は語りはじめるだろうか』と題する書物も、羽鳥書店から近刊の予定。

 この佐藤康宏は『UP』に「日本美術史不案内」と題する連載を今月5月号までにちょうど8年間96回も続けている。その96回目の題名が「東大教師が新入生にすすめない本」

1.米沢嘉博『戦後エロマンガ史』(青林工藝社、2010年)
 急逝した著者の未完に終わった連載を編んだもの。(中略)
 ちなみに、著者自身が復刊を企てていた作家たちの作品には、古書その他で触れられるものもある。椋陽児を追悼する1冊を掲げておこう。大阪弁を多用する彼の漫画は、多くは艶笑譚というべきものだが、口絵を飾る陰影を施した鉛筆画の蠱惑的な魅力といったら――ああ、とても新入生には薦められない。
2.石井隆『名美・イン・ブルー』(ロッキング・オン、2001年)
 収録される数篇が本書と共通する『名美』(立風書房、1977年)を男女ひとりずつにお貸ししたことがあるが、いずれも後ずさりするような読後感を持たれた。万人向けの作家ではない。肉体の細部や背景を精密に描く画風が1970年代に一世を風靡し、大きな影響力を持ったのは、1.にも説かれるとおりだけれど、彼の作品は、裸体、性交(しばしば強姦)を描き、一見してエロ劇画としての装いをじゅうぶんに備えながら、実はあまり扇情的ではない異形のものだ。たいていは名美という名を持つ主人公の女たちは、男の欲望の対象となって一方的に犯されたりはしない。むしろ主体的な行為者であり、自身の欲望のために男を見つめ返し、男を利用し、男を捨て、男を道連れに死に向かって沈んで行く。巧みなアングルの設定や音響効果、鏡やヴィデオといったイメージの中のイメージへの嗜好など、後年この作家が映画監督へと転身する兆しは随所に認められ、醒めた画面作りに貢献する仕掛けともなっている。


 図は右が椋陽児『幻のハーレム』(ソフトマジック、2001年)
 左が石井隆『名美・イン・ブルー』(ロッキング・オン、2001年)
 私も40年ほど前、石井隆『名美』を持っていた。決して好きじゃない作風なのになぜか惹かれるものがあった。石井隆の対極が樹村みのりだった。樹村は理想主義的で実にきれいな世界を描いていた。樹村と石井を比べて見ながら、世界は二人の中間にあるなどと考えていた。樹村みのりについては、以前このブログに『見送りの後で』を紹介したことがあった。