奥本大三郎『パリの詐欺師たち』を読む

 奥本大三郎『パリの詐欺師たち』(集英社)を読む。奥本の小説! 奥本はフランス文学者、『ファーブル昆虫記」の訳者、昆虫コレクターで虫に関するエッセイが多い。しかし小説も書いているとは知らなかった。

 本書は「パリの詐欺師たち」と「蛙恐怖症(ラノフォビア)」の2篇を収めている。「パリ~」はフランスへの旅行記の体裁、「蛙~」は台湾へのそれ。主人公は奥山先生、仏文の教授であり、昆虫コレクターだから、ほとんど奥本自身をモデルにしているみたい。パリではランボーや昆虫に関する本を漁り、美味しいレストランを食べ歩く。

本屋を覗いていると、店主が日本の本があるという。「昔よく読まれた哲学者毛利先生の本である」。大学紛争の頃、毛利先生の事を先輩が、「君達はあんな偉い哲学者を知らんのか」と言うので、雑誌に掲載されたその文章を奥山先生も読んでみた……」

 

……「経験」だったか何だったか、ひとつの言葉の周りをぐるぐる廻っていて、いつまで経っても本題に入らない。プラタナスの大木が切られたとか、フランス人は偉いとか、セーヌ川が流れているとかいう口上ばかりである。

 

 毛利先生というのは森有正をおちょくっているのらしい。

 次に、TANAKAという彫刻家の『フランスから』という本について書く。「いかにも思わせぶりな題名の本の復刻版を鞄に詰めて持ってきたのである。彫刻家としては器用な人だったらしいが、止せばいいのに文章まで書いている」。これは高田博厚のことだろう。

 

 ロマン・ロラン、アラン、ジャン・コクトー、ルオーらと“親交を結び”、というようなことが本のカバーに書かれてあったが、「本当かなあ、相手の方はこの男のことについて何か書いているのか。昔の書生が有名人をいきなり訪問するように、単にあつかましく押しかけただけだったんじゃないか。そんなの親交とは言わないぞ」と、奥山先生は、読みかけたばかりなのに腹立ちまぎれのことが言いたくなったのは、「日本語は感情と感覚をもっていて思想がない」などと妙なことを言うからである。

 

 奥本も高田博厚の『分水嶺』くらい読めばいいのに。

  偶然出会った知人の食通平田良太郎と同行するはめになる。平田にもモデルがいるのだろうけれど、誰かはわからない。平田は松野ゆたかが自分の「女」だという。松野ゆたかは松たか子のことらしい。奥本はこの平田も徹底的に馬鹿にする。どうやら、奥本大三郎は他人に対して悪意しか抱かないのではないかと思ってしまう。

 小説としても中途半端だ。ほとんど紀行文のエッセイのようで、かといって私小説自己批判の厳しさもない。奥本が作家ではなく単なるエッセイストであるのがよく理解できた。