高田博厚『フランスから』を読む

 高田博厚『フランスから』(講談社文芸文庫)を読む。戦後高田がフランスから日本の友人片山敏彦らに送った手紙を片山が編集して出版したもの。私信とはいえ、高田も公開を意図していたらしい。

 戦後のフランスの文学者たちや画家たちの動向や発言などを紹介している。ただ、作家たちの生の声というよりも、彼らの主張のダイジェストを高田が編集しているのでとても読みにくい。それでも、「この頃」という章では画家たちについて寸評している。

 

 ポール・シニャックがまだ生きていた頃、彼の家を訪ねた度に、彼の宝物だった35号大のセザンヌプロヴァンスの風景画の前に、彼と共にたたずみ、果ては二人で「ああ、セザンヌ! セザンヌ!」と言って抱き合うようにして踊り出したのを私は思い出す。私はこの光の老画家からセザンヌのことをきくのがたのしみであった。「君、あの爺さんは、こんなにして、うん、うんと頑張りながら、ほら、こんなに厚く描いたんだぜ。この爺奴!」もう70を越していたシニャックは何時もセザンヌのことを「あの爺さんめ、あの爺さんめ」と頭を下げていた。

 マティスは2号たらずの小さなセザンヌの「林檎」を肌身離さず持っていた。パリのモンパルナス街の家でも、南仏のニースの家でも、彼の部屋に何時も画架に掛けられてあった。そして誰が訪ねて行っても、「ほら、セザンヌです!」とまず指してみせた。1点の作に、「25年働いていてまだ解らない」とかつて私に述懐したこの老画家が、小さなセザンヌを自分から離さない。どこへ行っても、彼の方がセザンヌに蹤(つ)いて歩いていく。

 ピカソがまたセザンヌの晩年の25号大の大した南仏風景画を1点持っていた。

 

 ピカソはそれを自分の絵25点と交換してもらったという。一方高田はピカソフォーヴィスムに対しては手厳しくて、「現代意識の疲労から、アフリカ土人芸術に眼を向けた意識的混乱」などと言っている。

 さらに「マネキンまがいのドンゲンやフジタ・ツグジ」との酷評もある。高田はボナールを絶賛するが、ボナールは半段くらい劣るのではないか。彫刻家ではロダンブールデル、マイヨールを絶賛している。

 高田の回想録『分水嶺』と比べると、驚くほど読みづらかった。75歳の「分水嶺」に比べれば、50歳の『フランスから』は若書きだったということだろうか。