沢木耕太郎『旅の窓』を読む

 沢木耕太郎『旅の窓』(幻冬舎)を読む。沢木耕太郎が旅の途中で撮った写真に短い文章を付けたもの。雑誌『VISA』に連載したものをまとめている。沢木はルポライターだから「私は写真の専門家ではない。たまに外国に行くときカメラを持ち、撮ってくるというにすぎない。そのカメラも、ごく普通のもので、レンズも1本だけである」と書いている。レンズ1本とは言え、写真を見るとそれはズームレンズのようだ。何ミリのズームなのだろう。

 写真は巧いとは言えないが、文章はさすがに巧い。1ページと短いながらも写真に合わせて面白くまとめている。

 「勝負師」という章、

 

 ネパールの首都、カトマンズの古い建築が連なるあたりを歩いていると、石造りの階段のへりにひとりの老婆が座っていた。

 白いものが交じった髪、深い皺の刻まれた顎、あまり上等とはいえない衣服。しかし、その横顔には人を惹きつける力があった。

 それにしても、老女は何を見つめているのだろう。その視線の先をのぞき込むと、1枚の紙の上に駒とサイコロが置いてある。

 ぼんやり眺めていると、3人連れの若者が老女の前に立った。そして、少額の紙幣を置くと、サイコロを振りはじめた。老女もサイコロを振り、駒を動かす。それを何度か繰り返すと、若者たちは悔しそうにその場を離れた。どうやら、老女は大道の棋士のようなものであり、賭けの勝負に勝ったらしいのだ。

 私は、表情を動かすことなくその紙幣を巾着袋に入れている老女の横顔を見ながら、なるほどこの横顔の力は「勝負師」のものなのだなと納得したことだった。(「勝負師」全文)

f:id:mmpolo:20211108082145j:plain

 

 パリのモンパルナスのホテルの3階に泊まったとき、窓の外を見ているとレストランから出てきた2人のウェイトレスが向かいの建物の扉の前に腰を下ろした。どうやら休憩時間らしい。1人は煙草を1人はスマートフォンを手にしている。その写真がこれだが、胸繰りの深い制服からわずかに胸の谷間が見える。私はすでに現役を退いているが、こんなところに目が行ってしまう。

f:id:mmpolo:20211108082233j:plain

 

 中国の西安から乗合バスに乗り、シルクロードを西に向かっていた。途中、天水という町に立ち寄った。街の本屋で周辺の地図を買ったら、そこに「麦積山」という名の石窟が載っていた。バスに乗ってそこまで行ってみた。

 

 雨に降られ、コンディションは最悪だったが、そこで私は強い衝撃を受けることになった。石窟の中に安置された仏像たちは、どれも深く傷つき、中には崩れかけているものさえあったが、日本の国宝にも劣らない美しい「御顔」を持ったものが少なくなかったからだ。いや、傷つき崩れかけているからこそ、その気高さが増すようにさえ思えたものだった。

 もちろん、その感動の半分は、「麦積山石窟」について何も知らなかったという、私の無智がもたらしてくれたものだということはよくわかっていたのだが。

 

 Wikipediaで「麦積山石窟」を見ると、「194の石窟群で、7,200体を超える仏教彫刻と1,000平米超に及ぶ壁画がある。着工は後秦時代(417年 - 384年)にさかのぼる」とある。

 写真はWikipediaから転載した。麦積山石窟、半端なものではなかった。

f:id:mmpolo:20211108082315j:plain

麦積山石窟の外観